スポンサーサイト

--.--.-- --:--|スポンサー広告
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

水俣公害〜スリーマイル事故〜チェルノブイリ事故からの教訓 日本の原発利権

2016.01.25 19:12|原告の想い
福島県二本松市の原告の方より...

【水俣と福島に共通する10の手口】 

(1) 誰も責任を取らない/縦割り組織を利用する
(2) 被害者や世論を混乱させ「賛否両論」に持ち込む
(3) 被害者同士を対立させる
(4) データを取らない/証拠を残さない
(5) ひたすら時間稼ぎをする
(6) 被害を過小評価するような調査をする
(7) 被害者を疲労させ、あきらめさせる
(8) 認定制度を作り、被害者数を絞り込む
(9) 海外に情報を発信しない
(10) 御用学者を呼び、国際会議を開く
  
  
【チェルノブイリ事故とスリーマイル事故からの教訓】

(1) 事故は思いがけないことから起こり、予想外の経過をたどる。
(2) フェイルセーフ、フールプルーフはあり得ない。 (注)
(3) 事故の際の現場担当者は、信じられないほど楽観的である。
(4) 事故の通報は遅れる。
(5) 関係者はあらゆる手を尽くして事故を秘密にする。
(6) 事故の影響は過少評価される。
(7) 経済性のためには、少々の安全は犠牲にされる。
(8) 被害者は、因果関係がはっきりしないのをいいことに切り捨てられる。

注:「fail safe」故障や操作ミス、設計上の不具合などの障害が発生することをあらかじめ想定し、起きた際の被害を最小限にとどめるような工夫をしておくという設計思想。
 「fool proof」を直訳すれば「愚か者にも耐えられる」その意味するところは「よくわかっていない人が扱っても安全」。その思想の根底には「人間はミスするもの」「人間の注意力はあてにならない」という前提がある。
安全設計の基本
  
  
【ほんとの原子力村用語辞典とは?】

(1)安全=危険が発覚しないこと
(2)科学的合理性=学者が理解できる範囲
(3)核燃料サイクル=原発を永続させる呪文
(4)想定=限界強度に収まること
(5)送電網=電力会社のなわばり
(6)損傷=熔けて崩れて落ちること
(7)定検=隠れてする修理や交換
(8)爆発的事象=ようするに爆発
(9)保安院=広報担当の協力会社
(10)放射線=健康を増進するもの
(11)立地=土地にカネを注ぐこと
(12)IAEA(国際原子力機関)=ただの原子力積極的な推進機関
(13)フランスの原子力大手企業「アレバ」=原発関連工事失敗ばかりの詐欺会社←23兆円無駄に払ったよ。
  
  
【原発利権の政治家とは?】

原発利権の政治屋は、

原子力発電を積極推進することにより、
表・裏の巨大な政治献金を受け入れてきた。
これが米・官・業・政・電+学の利権複合体による
巨大な癒着の構造であり、すべての裏側に米国がいて、仕切ってきた。
欠落しているものがひとつある。

民衆の視点、民衆の幸福である。
 
福島、チェルノブイリ、スリーマイル島、
東海村、美浜、柏崎の経験により、
人類は原子力を完全にはコントロールしえないことを、
歴史の真実から学び取った。
 
賢者は最悪を想定して安全な道を進む。

それが、子や孫の世代を慮る思慮ある行動である。

人類の叡智である。
 
愚者は目先のカネに目がくらんで、
危険な原子力利用の道を進む。けもの道である。
 
米官業政電+学の癒着の構造を破壊しない限り、
国民の幸福が第一の政策は実行されない。

原子力危険利用の問題は、
日本の政治体制そのものの問題なのである。
 
1.天下りを全面禁止すること

2.企業献金を全面禁止すること

3.対米隷属から離れること

を実行しない限り、

日本は危険な原子力利用から離れられず、
国民の生命と健康は深刻なリスクに晒され、

子や孫の世代に巨大な放射性物質が
死の遺産として贈り続けられることになる。

 
そして、カネに目が眩まず、
真に国民の幸福を追求する者が
政治を司ることが不可欠なのだ。

(転載ご自由、拡散希望です!!)



スポンサーサイト

原告本人尋問(11/17午前の部)傍聴メモ

2015.11.22 02:53|原告の想い
2015年11月17日、生業訴訟の原告本人尋問を傍聴してきました。
この日6名の方の尋問があり、私は前半3名の方の尋問を聞きました。

原発事故特有の具体的な被害が、本人尋問により明らかに
なっていきました。書き取った傍聴メモをここに記します。
(言葉の聞き間違いなどわかったら、順次訂正します)



【事故発生時妊娠9ヶ月だった女性】
 福島県福島市⇒宮城県仙台市⇒福島市

・強制避難区域でないため避難をめぐって夫とケンカ

・お腹の赤ちゃんへの放射能の影響が心配でたまらなかった
 正直、奇形の子どもが産まれてこなくてほっとした

・母乳に放射能が含まれているニュースを見たあと授乳するのが不安に
 おっぱいあげながら思わずやめてしまうこともあった

・妹のいる仙台に母子避難。上の子が環境が変わって情緒不安定に
 ご飯食べない 下痢をする 夜寝ない 無口に

・週末だけ夫が通う生活に家族全員が限界を感じ福島に戻る
 自宅より線量の低い物件を探して市内で転居

・子供がよく体調を崩し鼻血を出すことが多く、ここにいて大丈夫か
 また不安に

・里帰りする実家は0.8マイクロシーベルト毎時、自宅は0.5〜6だと
 いうことが「あとから」わかった

・自宅の除染が行われたのは2015年夏(事故から4年後)

・子供やその子供への健康不安

・「放射能は笑っている人にはとんでこない」と言っていた山下俊一氏が
 「子供が病気になる頃には僕はいない」とも発言しショックを受けた

・原発事故の被害については被害を少なく見せるように情報を出して
 いると感じるから公的な情報が信用できない

・1歳半になった娘の足の爪に黒い線。この線が大きく変化するよう
 だとガン化する恐れもあり要経過観察と医師に診断されている
 放射能の影響ではないかと不安になっている

・東電代理人からの質問:
 「福島市のホームページの米の放射能検査結果を見ていましたか?」

 「母乳から放射能が検出された情報をどこで見ましたか?」

 「母乳をあげると危険という情報を医師から聞いたことがありますか?」

 「爪の異常について医師はどのように診断していますか?」

 「医師に放射能に対する不安を聞いてもらったことがありますか?」

 「福島産は市場に出回っているものは安全とされていますがそれでも
  県外のものを選ぶのですか?検査体制などの情報は取っていますか?」

 「なぜ夫は原告にならなかったのですか?意見のちがいがあるのですか?」

・国の代理人からの質問:
 「洗濯ものの外干しを祖母がしていることについてどう考えていましたか?」
 →よく乾くからだろうと思っていました。

 「祖父母が自分たちが食べないものを食べることについて何か言ったり聞いたり
  したことはありますか?」
 →ありません。祖父母の作った地元の食べ物を申し訳ないと思いながら処分して
  いました


【妻がウクライナ人で子供が二重国籍の男性】
 夫:福島県白河市
 妻子:白河⇒ウクライナ⇒白河⇒アルゼンチン⇒白河

・ウクライナ人の妻は12歳のときチェルノブイリ事故を経験
 自分と結婚しなければ二度も原発事故に遭わずに済んだのに、と
 申し訳ない気持ちをもっている

・ウクライナ人の妻と子供はウクライナ政府のチャーター便で3/17に
 成田からウクライナに避難。日本国籍しかない自分は乗せてもらえず、
 成田空港で妻子と別れることになってしまった
 「パパ!パパ!」と大泣きする娘を見送った悲しみ一生忘れられない

・避難先での生活に困らないよう、貯金は全て下ろして妻に渡した

・1週間以上たち初めて妻子と連絡がついた

・ひとり福島に戻ったが妻子がいないさびしさで鬱になり何度も
 自殺を考える。地元の釣り仲間などに励まされた日々

・自宅は高いところで1マイクロシーベルト毎時。妻子に帰ってきて
 ほしくて芝を刈るなどして自分で除染

・子供がウクライナでストレスから腸閉塞になり入院

・どうしても会いたくて妻子のいるウクライナに行くが、妻が福島に
 帰りたくないという。言葉もできない自分は今からウクライナでの
 生活は考えられず話が平行線に

・家族一緒を最優先に福島に戻ったが、今度は被ばく防護がストレスに

・水道水を飲まず福島県産を避けても不安を消すことはできなかった

・放射能の不安から妻の精神が不安定になりヒステリックに

・妻子は再避難を決意し妻の姉一家のいるアルゼンチンへ
 しかし子供が現地になじめずホームシックになり福島に戻る

・海外への渡航費や生活費がかかり経済的負担も大きい

・避難で日本の学校生活も中途半端になり、子供が不登校に

・山や川などの自然の中で豊かに暮らしていたのにそこが
 汚染され危険になってしまったことは、人間で言うなら
 手足をもがれたようなもの

・家のローンがあり避難先で就職できるか不安があるため
 自宅から離れられない状況

・東電代理人からの質問:

 「奥様はチェルノブイリでどのような経験をされましたか?」
 →ウクライナの事故原発から650キロ離れた町だったが
  1週間後に黒い雨が降った。友達が死ぬのを何人も見た。
  妻の姉の夫はベラルーシ人医師で、福島から逃げろと警告。
 「原発事故が起きた20年後を知っているか?俺は知っている」
 「地元の山菜やキノコを食べ続けた人が甲状腺ガンや心筋梗塞に
  なった」など、留まることの危険性を伝えてきた
  
 「東電や自治体が出していた線量を確認していましたか?」

 「どこのメーカーの何という機種で測定しましたか?」
 
 「除染前と除染後の線量はどれくらいでしたか?」
 
・国の代理人からの質問:
 「近所や親戚の人で避難した人いましたか?何人くらいでしたか?」
 →山の仲間の子供のいる若い世帯で10人くらいいた。

 「近所で放射能を気にして除染している人はいましたか?」
 →近所には高齢者が多く、除染をしている人はいなかった。


【母子避難をずっと続けて離婚した女性】
 茨城県⇒栃木県⇒東京都⇒沖縄県

・震災で自宅が半壊。住める状態でなくなったため車で母子避難
 生活が始まった。1歳児と小学校入学を控えた子供がいた

・車のラジオで原発事故を知る。なるべく遠くへ逃げようと
 決意し当初滞在した栃木から東京西部へ移動

・夫が自宅を修繕して帰りを待っているとの連絡と、子供が楽しみ
 にしていた小学校入学式のためいったん自宅に戻ることを決める
 
・ネットやママ友との情報交換で放射能の健康影響を知る
 言い方はよくないけれど「こういう風になったらいやだな」
 という思いから被曝防護を考え行動するようになった

・測定器を入手し測り始める。自宅は拭き掃除をすると下がるため
 1日何度も拭き掃除するようになった

・放射能の影響を受けないようになるべく外出を控え、子供は外で
 遊ばせないようにした
 
・家族が帰ってきたら玄関で服を脱がせ洗濯にまわしシャワーに直行
 させた

・子供の通学路は高いところで0.25マイクロシーベルト毎時

・地元自治体に通学路と学校の放射能測定を要請したが断られる
 理由は「モニタリングポストがすでに設置されているから」

・牛乳を飲ませないように学校に頼んだが子供が飲みたいと
 言ったら学校は与えてしまった

・牛乳のメーカーに検査結果を問い合わせると「ヨウ素3〜4bq」
 セシウムについては覚えていない

・「早めの夏休み」ということで夫も認めたため、沖縄に母子避難
 当初は一時避難のつもりだった
 
・沖縄で原発事故の健康影響について詳しいチェルノブイリを知る
 専門家などの話を聞き「茨城から避難したことは正しい」と
 ベラルーシの汚染地をみてきた小児科医スモル二コワ医師にも
 言われた

 ※ブログ主註:
  2011年11月20日 沖縄でスモル二コワ医師のお話を聞く会が開催されていた
 http://ameblo.jp/halo-usaco/entry-11101320860.html

・残った人と出た人の放射性物質に対する考え方のちがいなどから
 友人とも疎遠に 
「まだ避難しているの?」「ご主人かわいそうだね。毎日コンビニ弁当?」
 といった自分がいちばん気にしている所を指摘する言葉に傷ついた

・年に数回しか夫と会えなくなり結婚生活の意味を考えるように

・自分が子供と避難したせいで夫や子供から家族みんなで暮らす
 普通の生活を奪ってしまった責任を感じている

・上の子は我慢強い性格で「パパに会いたい」と言わないが、
 たまにさびしさを爆発させる
 「どうやって我慢していたかわからなくなっちゃった」
 と言ったこともある

・下の子は「将来はパパと暮らしたい」と言い、幼稚園では父親の
 いる家族の絵を描いてくる

・夫は放射能の話になるとと不機嫌になるためそれから触れることが
 できなくなってしまった

・「危険て知っていても俺にはどうすることも出来ないでしょ?」
 「(自分が茨城での仕事をやめたら)誰が生活費を出すの?」
 「このまま別居を続けるなら結婚している意味がない...」
  と言われ返す言葉がないまま離婚に至った

・子供の5〜10年後を想像するとき、以前なら楽しいことばかり
 考えていたが、今は「死ぬような病気になっているんじゃないか」
 という不安がありとても苦しい

・ここにいるみなさんが全員原発事故の被害者
 私たち大人が無責任なままでは子供たちがかわいそうなので一緒に
 社会を変えてほしい、助けてほしい

・東電代理人からの質問:
 「自治体から出ていた避難しなくてよいという広報は見ていましたか?」
 →見ていません。個人的には安全とも危険とも連絡はありませんでした。

 「子供たちの血液検査の異常について医師から放射線の影響と言われた
  ことはありますか?」
 →あるともないとも言われていません。要経過観察とだけ。

 「牛乳には自然放射線が50ベクレル含まれていることは知っていましたか?」
 →??(無言) 
  ※原告弁護団より「何の核種か特定せずに聞くのはおかしい」との声上がる
   これに対し裁判官「自然放射線という前提で聞いており問題はないと考える」

 「福島産の食べ物や水道水を避けているとおっしゃいましたが、線量の
  高いものをうっかり食べたり飲んだりしたことはありますか?」
 →内部被ばくをさけているのでありません。

 「だんなさんから放射能についての見解を聞いたことがありますか?」
 →「放射能の話は一切やめて」と言われてから話せなくなり聞いて
   いません。

 「茨城県は避難区域に指定されいませんがなぜ帰らないのですか?」
 →原発事故によって県境を超えて放射性物質が降り注いだからです。
  それが自分や家族の身体の中に入ってしまったことがその量が
  多いか少ないかに関わらず、いやで怖いからです。 
  また、事故直後の初期被曝から子供を守ることが出来なかったので、
  もうこれ以上外からも中からも原発の放射能の影響を受けさせたく
  ないからです。


以上、傍聴メモでした。

  この日、4日前の11月13日に亡くなられたstudy2007さんの
  『見捨てられた初期被曝』という本を手に傍聴席にいました。
   

    崩れ去った被ばく防護

   科学の「放棄」「心の問題」へのすり替え

   原発事故の教訓とは基準を緩めることなのか?

   避難と防護の備えなくして再稼働はありえない



  問われているのは、「フクシマ」を経験しても変わろうとしない日本社会、
  そこに暮らす人々だということを日々痛感しています。



生業原告団長・中島孝のことば

2015.09.08 08:49|原告の想い
弁護団だよりNo.42より転載

〜 暑中お見舞い申し上げます 〜

近頃の遠慮ない夏の暑さには、やさしさも風情もないなあ、と感じてしまいます。

 6 月に国が打ち出した「緊急時避難準備」「居住制限」区域の解除、その1年後の2018年3月の賠償金打ち切りには、力ずくで原発事故を消去したいという横暴な政府の姿が滲んでいます。個々人の困難や思いに寄りそう意思は感じられません。

 どんなに被害が深刻でも、真剣に救済策を取らない。フクシマでそうであるなら、他の原発がどこでどんな事故を起こしても、やはり救済はされないということです。そうすると、すべての原発所在地の近くの人々は、フクシマと同じ苦しみが予定されているということになり、正に切実な自分の問題です。被災地切り捨ての実態を今こそ明らかにしなければなりません。先が見えないままほったらかされることがどういうことか。

 福島県の姿勢も全く非難されるべきです。復興を錦の御旗に掲げているが、あらゆる苦難を内に飲み込んで、一体どんな復興が遂げられるか。いびつに歪むは必定ではないか。真の課題を逃げずに見据え、国にあらがう誇りはないのか。

 改めて原発事故の被害の実相を訴えましょう。そのうえで、原発の再稼働はまったく理に合わないこと。無理強いしようとする国は、大変な人権侵害をなしていること。それを見逃せば、社会や個人生活のより大きな抑圧につながること。

 生業訴訟は、裁判を足掛かりに全体救済を図る方針を堅持しています。ブレている県、迷っている県民に確かな視点を持って迫り、訴える活動が控えています。

 容赦ない暑さの夏、健康に留意してい行きましょう。

生業訴訟原告団長 中島 孝


※以上 転載おわり



理不尽 苦悩 共に闘う 〜福島から沖縄へ避難 単身抗議〜

2015.08.20 01:41|原告の想い
沖縄支部の大橋さんが、2015年8月11日、
川内原発再稼働に抗議する意志を示すため鹿児島に向かいました。
東京新聞の記事になっていたので紹介します。
↓クリックすると開きます。

IMG_0895.jpg



「原発なくそう!九州玄海訴訟」二本松市の農家根本敬さんの意見陳述

2015.07.10 15:02|原告の想い
2015年7月10日佐賀地裁で開催された原発なくそう!九州玄海訴訟(原告9396人)の口頭弁論において、福島県二本松市の農家根本敬さんが意見を述べました。「生業訴訟」の原告にもなっておられる方です。
以下、陳述内容を転載します。


1.原発事故で農民は追い詰められた

 私は、福島県二本松市で水田3ヘクタール、柿畑30アール、野菜畑20アールを耕す農民です。現在、福島県農民運動連合会(「福島県農民連」)の会長を務めています。そして、福島地裁において国と東京電力を相手に原発事故による被害の原状回復と損害賠償を求めている「生業訴訟」の原告です。私が暮らす場所は、福島第一原発から約60キロメートルの地域です。

 原発事故によって農民たちは、追いつめられています。有機農業を実践してきた須賀川市の農家は、キャベツの収穫を前に自らのいのちを絶ちました。亡くなる前日、妻に「これで福島の農業は終わりだ」と言って。相馬市の酪農家は、フィリピンから嫁いだ妻をフィリピンに戻して、黒板に「原発さえなかったら」と書き付けていのちを絶ちました。計画的避難区域に指定された川俣町山木屋地区から福島市に避難していた農家の妻が「家に帰りたい」と夫に言い残して、一時帰宅した翌日に自宅庭先で焼身自殺しました。農民にとって、土は命です。その命が放射能で傷つけられているのです。

 また、原発事故によって農民は自ら育てたものを捨てざるを得なくなっています。酪農家は、牛を殺処分し、牛舎に置き去りにし、乳を搾っては捨て、絞っては捨てる作業を繰り返しました。野菜は畑に埋めて処分し、売れない桃やさくらんぼはゴミとして廃棄しました。私たちは、自分の作った農産物を家族、特に子や孫に食べさせられませんでした。子や孫に土遊びをさせることは今でも困難です。

 私は、原発事故の年、耕作は控えようと考えていました。しかし、84歳の父から「近所の人が作っているのにどうしてうちでは作らないんだ」と責められました。ブログで「農地の汚染状況がきちんとわかるまで栽培は見合わせたほうがいい」と書くと、ある自治体の方から「お前の言っていることは風評被害を助長するものだ」と電話で怒鳴られました。私の水田の土は、1㎏あたり5020ベクレルでしたし、現に作物の根からも葉からも放射性物質は出ているのです。私はこう言いました。「風評ではありません。実害です。私たちの農地や作物は放射能で汚染されています。その実態も把握されていません。汚染状況の確認が先です。」すると彼は「作らないで賠償は出ないだろう」と言って電話を切りました。

2.それでも農民は「大地を受け継ぐ」

 翌年、私は米の栽培を再開することにしました。放射能の汚染状況はまだ十分に把握できませんでしたが、自分たちで線量計や検査機器をそろえて大まかの状況が分かったのと、父との関係からでした。出演したラジオ番組で、京都大学の小出裕章さんからこういわれました。「根本さんにはそこに住んでほしくない。」私は、こう応えました。「うちの父は84歳です。この父をこれ以上悲しませたくないんです。84歳の父にここを離れろとはいえません。何も作るなとは言えません。生まれた地で生きて、生まれた地で死んでゆく。その選択ぐらいさせたい」と。

 この6月に国は、帰宅困難区域以外の避難地域をあと2年ですべて解除し、賠償も打ち切る方針を出しました。生活も生業の見通しもない中で、「帰るか帰らないかはあなたの自由です」というのです。福島切り捨てです。
農民は、いまも葛藤しながら作物を作っています。土壌が汚染されたとはいえ、土を耕し、作物を育てなければ、農地はダメになってしまいます。私たちは、20年後も30年後もこの地に生きるしかありません。荒れ果てた農地には生きられません。

 農民は、本来、作った作物を“美味しいから食べてくれ”と渡します。しかし、いまは“美味しい”の前に、“安全だから”とか“未検出だから”という言わざるを得ません。なぜ農民が、こんな言葉を自分たちで言わないといけないのか。東電がまき散らした放射能のために。
 土を守るということと、人の口に入る物を作っているということとの間での、私たち農民のジレンマは解決の糸口をいまだ見出せません。

3.「引き受けるべき責任」と「背負わされる覚悟」

 私は、今考えていることがあります。それは、法的責任とは別の意味で、大人にとっての「引き受けるべき責任」と、子どもたちに強いる、子ども達にとっては「背負わされた覚悟」です。
原発事故の法的責任は、私たちが負いきれるものではないし、かといって誰も責任を負わず問われない社会は「堕落」です。その責任を果たすべきは原発事業を進めてきた国と事業者である電力会社です。そうでなければこの社会は、堕落し続け成り立たないと思います。

 他方、原発立地地域の人たちは、「原発補助金」を代償に「ふるさと、生業」を失う責めを引き受けざるをえません。故郷を追われ、賠償を巡って、福島県民からも陰口を言われ、いまだ自らの未来を描くこともできないでいます。
私たちは事故が起きて初めて、事故に直面して初めて、被害を蒙りつつ、「引き受けるべき責任」というものを自覚します。残念ながら、原発立地地域の多くの人々にとって、事故を「予知」することは困難であり、当事者になって初めてその辛酸をなめさせられます。今後も日本が原発に依存するのであれば、国、県、市町村、事業者、裁判所、そして「大人」たちにその責めを引き受ける覚悟があるのかと問いたいのです。

 全村避難を余儀なくされた飯舘村の女子高校生が、村民集会で「私が子どもを産んで、その子どもに何かあったときに保障してくれるんですか」と東電の副社長に迫りました。答えはありませんでした。
原発事故の起きた年の8月に私は飯舘村の中学生とドイツに行きました。彼らは原発の是非について一切語ろうとしませんでした。現地のフライブルクで原発反対のデモがありました。このデモへの参加を巡って、飯舘村教育委員会からは、色よい返事がありませんでした。私は、自由参加にしました。引率の先生方は参加しませんでした。でも、子どもたちは、こもごもの出で立ちでパレードに参加しました。彼らは、「背負わされた覚悟」を引き受けようとしたのだと思います。
 原発事故で被害者にさせられた福島の私たちの責任とは何か。あるいは、原発事故後に日本に生きる大人たちの責任とは何か。

原発事故の法的責任を明確にさせ、被害の救済をきちんとさせること、そして次の世代に私たちの責任を転嫁せず、原発の再稼働を許さず原発ゼロにすること、私はそのために全力を尽くすつもりでいますし、そうした想いからこの裁判の原告となりました。

 裁判所におかれましては、福島の農民の姿をしっかりと見ていただきたいと心から願っています。ワンモアフクシマの地にならないために。



| 2017.09 |
- - - - - 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
Profile

BQN

Author:BQN
東日本大震災の時に首都圏在住在勤。キヨシローの反原発ソングしか知らなかった自分を反省し、当時小3になったばかりの子供を放射能からどう守ったらよいか真剣に学ぶ。1年後、沖縄に移住。2012年12月、沖縄にいる原発避難者のための東電による説明会が行われたが、その開催に尽力したのが避難者支援の市民団体『つなごう命〜沖縄と被災地をむすぶ会〜』だった。共同代表の沖本八重美さん(2013.1.26永眠)は広島原爆の胎内被爆者ゆえ、新たな被ばくの犠牲者に対し深い共感をもって支援した。深刻かつ長期にわたる被害に対し “法廷で東電と国の責任を問う” ことが八重美さんの悲願だった。私も同じ気持ちでこの訴訟の支援を続けて行きたいと思っている。

Latest journals

Latest comments

Latest trackbacks

Monthly archive

Category

Search form

Display RSS link.

Link

QR code

QR

ページトップへ
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。