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東日本大震災の直前に文科省が巨大津波の危険を指摘する報告書を作成

2013.07.19 20:59|関連情報
■大津波は想定外だったのか
2012/5/24 3:30 日本経済新聞 朝刊


 東京電力・福島第1原子力発電所を襲った津波は本当に「想定外」だったのか。国会と政府の事故調査委員会は、東電や原子力安全・保安院が想定を見直す機会がありながら、それを逸した経緯を明らかにし、産学官がもたれ合ってきた原子力行政の構造的な問題にメスを入れるべきだ。

 東日本大震災の直前、文部科学省の地震調査研究推進本部は地震発生確率を予測する「長期評価」の改訂作業中だった。約1100年前の貞観地震に関する新たな発見を踏まえ、福島沖で大津波をもたらす地震が起きうることを予測に盛り込もうとした。

 改訂が公表されると、原発の津波対策を高める必要が生じる。東電は昨年3月3日、改訂案の「表現を工夫してほしい」と文科省に要請した。ここまでは政府事故調が中間報告で示した事実だが、最近新たな証言が付け加わった。

 長期評価に携わった島崎邦彦・東京大学名誉教授が「改訂案は実際に書き改められた」と学会の講演で明かした。長期評価は震災を踏まえ最終的に昨年11月に公表されたが、島崎氏の指摘が事実なら3.11直前の書き直し版がある。それを公開し経緯を明らかにすべきだ。事実なら東電が政府の地震予測を左右した証拠になりうる。

 似たことが2002年にもあった。東北地方の沖合のどこでも大津波が起きうるとした当時の長期評価に対し、そのときは政府の中央防災会議が異論を唱えて結論を変えた。それも原発への配慮からだったのか、明確ではない。仮にそうならゆゆしきことだ。大津波が早くから想定されていれば、原発だけでなく、多数の住民の命も救えていたかもしれない。

 原発の存在が科学の予測をゆがめてこなかったのか。ここでしっかり検証する必要がある。

 保安院が原子力安全委員会に対し、古い耐震指針でも防災上「支障がない」との見解を出すよう要求していた事実も最近、明らかになった。これも科学的判断をゆがめかねない所業だろう。



■ANN報道 双葉町長が激怒「貞観津波」の表記修正に絡み(12/2/26)
http://youtu.be/BjXTYqBGfBI

※原発事故発生時の双葉町長、井戸川かつたか氏が繰り返し訴える「電力3社と文科省による巨大地震・津波情報の隠蔽」を報じたTV報道

■文科省による巨大地震・津波情報の隠蔽」を報じた記事(12/2/28 東京新聞)
http://bit.ly/16G0XO9

《 井戸川かつたかはこの「日本最大の国家犯罪」を徹底追求致します 》

(参院選に出馬した本人ツイッターより)


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岩手県が東電への訴訟も視野に検討

2013.07.11 00:24|ほかの訴訟
■県が東電への訴訟も視野に検討
(2013年7月10日 NHK盛岡放送局)

東京電力福島第一原発の事故に関し、岩手県などが東京電力に損害賠償を求めている問題で、県は、東京電力の姿勢に前進がみられないとして、今後の対応によっては訴訟も視野に検討していることを明らかにしました。
岩手県や市町村は、原発事故に伴う牧草地の除染費用などについて東京電力に賠償賠償を請求するとともに、6月、公開質問書を提出しました。

質問書には、東京電力が独自に賠償の基準を設ける対応を改めるつもりはないかなど48の項目があり、10日、東京電力の担当者が県庁を訪れ、回答書を手渡しました。
この中で、東京電力は「東京電力の基準にあわなくても、原発事故と『相当の因果関係がある』と認められる場合は賠償に応じる」などと、これまでと変わらない姿勢を示したということです。

県の小田島智弥総務部長は、「『相当な因果関係』というが原発事故がなければ発生しなかった損害を、1件1件精査するやり方は改めて欲しい」と述べ、対応が不十分だという認識を改めて示しました。
その上で、小田島部長は、記者団に対し、「回答には納得できない。交渉は続けるが、訴訟も視野に入れながら検討をしていくことになる」と述べました。

この問題で県が訴訟の可能性について言及したのは、これが初めてです。


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東電告訴 検察捜査大詰め 危機感立証 厚い壁

2013.07.10 23:35|ほかの訴訟
■東電告訴 検察捜査大詰め 危機感立証 厚い壁 
(2013/6/30 河北新報)


 過失問える事実出ず 断念なら検審申し立て必至


ーーーー表:東京電力福島第1原発事故をめぐる主な告訴・告発ーーーー

<業務上過失致死傷容疑>
地震・津波対策を怠り、事故を発生させ、病院から避難した入院患者らを死亡、住民を被ばくさせた
・勝俣恒久 東電会長
・清水正孝 東電社長
吉田昌郎 福島第1原発所長 ※
・班目春樹 原子力安全委員長ら

<公害犯罪処罰法違反容疑>
放射性物質を排出・拡散させて、作業員や住民を被ばくさせた
・法人としての東電
・勝俣 東電会長ら

<原子炉等規制法違反、業務上過失傷害の各容疑>
1号機で、直ちにベント(排気)をせず、水素爆発を引き起こし、作業員らにけがをさせた
・菅直人 首相
・枝野幸男 官房長官
・海江田万里 経産大臣
・清水 東電社長ら

(肩書は事故当時)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 東京電力福島第1原発事故で、巨大津波を想定した防災対策を取らなかったとして刑事告訴・告発された東電幹部らに対する検察当局の捜査が大詰めを迎えている。昨年夏以降続けてきた関係者の聴取はほぼ終了。捜査幹部は「想定以上のことをやってきた」と話すが、事故の予測可能性を示す新事実の発掘は難しく、異例の捜査は大きな壁に直面している。

                ◆

「5番目の検証」

 事故の検証はこれまでに「政府」「国会」「民間」「東電」の4委員会が、それぞれの調査報告書を公表。今回の捜査は刑事責任の有無を判断する「5番目の検証」だ。
 自然災害と原発事故の因果関係を検証し、さらに企業と関係者の過失責任を判断する-。「結果は重大。やるしかない」。上層部の決断で始まった捜査だが、検察内部には「刑事事件にそぐわない」との反対論がくすぶっていた。難航は最初から予想されていた、といえる。
 東電関係者ら約40人を業務上過失致死傷容疑などで告訴・告発したのは「福島原発告訴団」など複数の団体。東電が2008年に「最大15.7メートルの津波の可能性がある」と試算していたことに着目し、必要な対策を怠ったことが全電源喪失によるメルトダウンを招いた、と主張している。
 これに対し、東電側は自前の事故調査報告書などで「もっとも厳しい想定で、実際に起こらないと考えられていた」と過失を否定。数百億円が必要となる防潮堤設備などの対策を見送ったのは怠惰とはいえない、との立場をとり続けている。


聴取一通り終了

 両者の主張が平行線をたどる中、国民が納得する結論をどう導くか。検察は勝俣恒久元東電会長ら幹部の聴取を重ねる一方、社内メールの履歴を分析し、誰がどの程度、津波への危機感を持っていたのか調べた。
 ある捜査関係者は「あらたに分かった事実はあるが技術的な細かいことが多い」と話す。今のところ、すぐに過失責任を問えるような証拠の発掘には至っていないようだ。
 「あれだけの津波が来るという共通認識は専門家のにもなかった。東電が対策を怠ったとまでは言い難い」。参考人聴取を受けた学者の一人は、担当検事を前にこう説明したという。
 東京地検、福島地検の約20人で編成した捜査チームは関係者聴取を一通り終えて縮小。現在は捜査に漏れがないかどうか、最終的な確認作業に入っており、早ければ夏にも結論を明らかにする見通しだ。
 「立件断念」が現実味を増す中、捜査幹部の頭を悩ませるのが、「その後」の反響だ。


細かい説明検討

 告訴団は「埋もれている重要な証拠があるはずだ」と家宅捜索と徹底的な捜査を求めてきた。仮に関係者を不起訴にすれば、検察審査会に審査を申し立てるのは必至の情勢といえる。
 強引に立件するリスクは大きいが、検審の議決で再捜査を求められる事態も何とか避けたい-。検察当局は今回、通常なら簡潔に済ませる処分の発表を、論点ごとに細かく説明することも検討しているという。
 告訴・告発状の受理から11か月・ある検察OBは「検審向けの捜査が続いているとすれば、決して生産的とはいえない。再発防止につながるような仕事ができているのだろうか」と疑問を投げ掛けた。


※吉田昌郎元所長はこの記事の翌月2013年7月9日都内の病院で死去

※以上、ブログ Behind the Days より転載
http://behind-the-days.at.webry.info/201306/article_10.html

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福島原子力発電所の事故から2年、訴訟に苦しむ東電

2013.07.09 16:38|ほかの訴訟
■福島原子力発電所の事故から2年、訴訟に苦しむ東電

※東京電力株主代表訴訟ブログより転載
http://tepcodaihyososho.blog.fc2.com/blog-entry-115.html


フランスの新聞Liberationの記者から事務局長の木村結さんが取材を受けました。
「脱原発・東電株主運動」と「東電株主代表訴訟」の運動について語りました。
それが、記事(6月2日付)として紹介されました。
翻訳していただいたので、ご紹介します。


※記事原文
http://db.tt/a8BHxxDv



東電への多数の賠償要請:総額は数百億ユーロにも

 岩崎の怒りは続いていて、まったく収まっていない。白く簡素なオフィスを背に彼は東電から受けた侮辱をかみしめる。千葉県で農産物を扱っている小さな協同組合「なのはな生協」の専務理事である岩崎は東電に対し、2011年3月以来「なのはな生協」がこうむった損害への賠償を求めている。
 また何よりもこの訴訟によって司法が、11500人の会員を160人減らし消費者からの信頼に傷をつけ、40年間にわたって千葉・茨城・福島各県の数十人の有機農業者と「なのはな生協」が築いてきた関係を、崩壊させた責任者を明らかにすることを期待している。
 5月10日に行われた最近の公判は短時間で終わった。東電の弁護団は組合の売り上げと会員の減少は事故の前から始まっていたと主張し、原告側の更なる怒りを買った。


追加援助
 この訴訟は、毎日のように新たに増える賠償請求に直面し、法的そして経済的に締め付けられている東電にとって象徴的とまで言えないにしても、小さな逸話のひとつにはなろう。今週の金曜日、東電はこれらの巨額な請求に対処するため国に6000億円の追加援助を求めた。

 5月21日に、福島原発に程近い宮城県丸森町内の筆甫(ひっぽ)地域の住民が更なる賠償を請求した。数日前に東北電力も200億円の補償金を要求したとされている。今年の3月11日には800人の市民が東電に対し除染作業の迅速化を要請した。

 さらには、日本の救急隊員の助っ人として被災地で作業にあたった約100人のアメリカ兵士が、東電がリスク評価に関し嘘をついていたとしてカリフォルニア州裁判所に20億ドルの賠償を提訴している。 これらの巨額な要求に対し、前述した「なのはな生協」は損失の補填と放射能測定器購入のために使われた2290万円の支払いしか求めていない。この額は、東電が2011年以来何千もの個人や会社に支払った2兆3017億円に比べればほんのちっぽけなものである。この莫大な金額のそのほとんどは、破産を避けるために国が東電を国有化してから設けられた補償基金から出ている。

 当初、「なのはな生協」は訴訟を起こそうとは考えていなかったが、東電が第2弾目の補償を拒否したことに反発し訴訟を起こすことを決めた。「1年前東電に、放射能測定はもうこれ以上不要だといわれました。これからは他のもっと安全な地域で、たとえば西日本で、農産物を調達すればいいというのです。われわれにとって、こんなに偽善的で傲慢で受け入れがたい提案はありません。東電はわれわれをなめるという間違いを犯しました」と岩崎専務理事は語る。東電は「なのはな生協」以外の少なくとも4つの協同組合からの賠償請求と「コントロール不可能になりそうな訴訟数の増加」がドミノ的波及効果を起こすことをおそれ、後ろ向きになっているという。

 リベラシオン(訳注:この記事の発行元) は東電にも訴訟に関しての取材の申し込みをしたが、担当者は訴訟についてはノーコメントとし、「全ての件について真摯に取り組んでおります」という歯切れのわるい返答をするにとどまった。東電によると「80件の苦情を受理しうち30件は解決したかまたは却下した」とのことである。


リスク
 日本の独立機関によって提出された報告書によってはっきりと「人為による大惨事」と定義されたこの事件で、いまや焦点にあるのは事故の責任の所在という問題である。この問題で東電を追求している人々は数百人にのぼるが、木村結さんもその一人である。保険会社で働く木村結さんの着物姿は、スーツをまとったサラリーマンばかりが目立つ東京駅で異質だ。物静かだが強い意志を内に秘めたこの60歳の女性は、1986年のチェルノブイリ原子力発電事故から反原発運動家となった。そして2012年3月、42人の東電株主からなる訴訟グループに参加した。このグループは東電に対し現在係争中の最大の訴訟を行っている。東京地裁で行われているこの裁判は東電の経営陣27人に対し、津波の危険と、重大な事故が起こった場合に備えた対策の必要性を軽視していたことの責任を追求している。
 
 原告株主が要求しているのは何と5兆5千億円である。「経営陣はみずからの責任を取るべきだ」と木村結さんは語る。彼女は1989年に東電の株式100株を購入している。残念ながらその価値は現在暴落してしまったが「そんなこと(株の値が下がったのは)は重要ではありません。重要なのはこの事故の被害者を救済すること及び東電に真実を語らせることです」
 彼女によれば、東電の未来を左右するこの訴訟が決着するにはあと2年ほどかかりそうだということである。2年、この時間は2011年3月11日以来巨大な損失に苦しめられている東電には長い長い時間である。


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追悼!沖本八重美さん!!(守田さん追悼記事の転載)

2013.07.09 12:07|沖本八重美さん
明日に向けて(615)追悼!沖本八重美さん!!
http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/45eefce44c9837905db1eab7aacf33ec


守田です。(20130203 22:30)

みなさま

大変、悲しいお知らせです。
「沖縄県生活と健康を守る会連合会」事務局次長で、「つなごう命の会ー沖縄と被災地をむすぶ会」の共同代表の沖本八重美さんが、1月27日未明に逝去されてしまいました。沖本さんは、琉球大学名誉教授で、内部被曝問題のエキスパート、矢ヶ崎克馬さんのお連れ合いかつ同志でもありました。

ご遺体は自宅に戻った後、沖縄県那覇葬祭会館に運ばれ、29日に600名の参加の下に、告別式が執り行われました。翌日、30日に同会館を出棺し、昼前に火葬が行われました。

僕も訃報を27日に受け取り、29日、関空からの早朝便で沖縄に飛び、告別式と火葬に立ち会わせていただきました。沖本さんのお骨も拾わせていただきました。この一連のことから、告別式の様子をみなさまにご報告したいと思います。

まず初めに、沖本さんの生前の写真をご覧下さい。日本共産党沖縄県委員会のサイトに載せられたものです。普天間基地包囲行動の一コマです。彼女の人となりがにじみ出ている写真です。なおここからは彼女のことを八重美さんと呼ばさせていただきます。
http://ojcp.itigo.jp/pg588.html

八重美さんは、広島県の瀬戸内の島の出身。胎内被爆者でした。広島大学に入学後、社会矛盾に目覚め、やがて学生運動に参加。当時はまだまだ声をあげることが困難だった被爆者からの聞き取り調査を行うなどして、平和への確信を深めていかれました。
やがて広島大学大学院に進まれた矢ヶ崎さんと出会い結婚。大学を卒業して、「広島民報」の記者として活躍を始めました。

ちょうどその頃、沖縄県民の熱き運動により、沖縄の本土復帰が果たされると、ご夫婦で沖縄の人々に何かの貢献したいと考えられ始め、矢ヶ崎さんが沖縄大学に職を得るや、ともに沖縄に移住されました。

物性物理学を専攻されていた矢ヶ崎さんが、物理学研究の基盤すら整っていなかった琉球大学に赴いたのは、沖縄の教育の基盤を自ら作り出すためでした。当時の琉球大学の給与は、広島での八重美さんの給与と、矢ヶ崎さんのアルバイト代を足し合わせた額の3分の1にもならなかったそうですが、それでもおふたりは意気揚々と沖縄に赴かれたのでした。

八重美さんは沖縄に移ってからは、日本共産党の新聞、『赤旗』の記者となり、カメラマンとして各地の沖縄の運動現場を撮り続けました。やがて二人の娘さん、響(ひびき)さんと佳苗(かなえ)さんが生まれましたが、八重美さんは、彼女たちを背におぶって、写真を撮り続けられたそうです。
こうした長い活動を経てのちに、彼女は日本共産党沖縄県委員会の専従職員になりました。溢れるパワーと行動力で沖縄狭しと駆け回って行動し、同時に、心傷ついた仲間がいると、どこへで出かけていって、励まされたそうです。

東日本大震災と福島第一原発事故の勃発後は、福島や東北・関東から被曝を逃れるために沖縄に避難してきた人々を支援。「つなごう命の会ー沖縄と被災地をむすぶ会」を立ち上げて、共同代表になられました。この過程で、ちょうど矢ヶ崎さんともども、定年を迎えられ、新築した家で悠々自適の生活をすることも考えられていたそうですが、実際には嵐のような日々に飛び込まれました。

「世の中の誰ひとり、見捨てられない社会を作る」との思いのもと、「生活と健康を守る会連合会」事務局次長の活動も引き受けられ、さらに普天間基地撤去をもとめ辺野古基地建設を許さない運動、米軍機オスプレイ配備反対の運動、沖縄への震災ガレキ搬入と焼却に立ち向かう運動など、赤旗記者時代、専従時代を凌駕しさえするような活動の毎日を過ごされました。たくさんの生命を救い、支え、抱え込んでの大奮闘でした。

これだけの活動と同時に、人々を内部被曝から護るために立ち上がり、全国を駆け回る矢ヶ崎克馬さんを同志として熱くサポート。2011年だけで145回もの講演をされた矢ヶ崎さんを、いつも那覇空港まで車で送り迎えするなど、その激烈な活動を支え続けました。

矢ヶ崎さんと僕が、岩波ブックレット『内部被曝』を上梓したときも、我が事としてとても喜んで下さり、まさに破れんばかりの笑顔でもって執筆の努力をねぎらってくださいました。


八重美さんが倒れられたのは熊本県でした。ご友人の古希の祝いの席にご夫妻で参加。前日に一緒に温泉に浸かり、とても楽しいひと時を過ごされたそうです。

その後、お祝いの席に参加。冒頭でスピーチを依頼され、矢ヶ崎さんに続いて、とても熱の篭った、迫力あるスピーチをされたそうです。大きな拍手が起こり、ご本人も誇らしげな顔をして席に戻られたそうですが、その直後に倒れられて、意識を失われました。

八重美さんを襲ったのは心臓発作でした。すぐに居合わせた医師たちによる蘇生行為がなされ、救急車で病院に搬送。緊急の開胸手術が行われました。八重美さんも医師の方たちも、何時間にもわたって頑張られたそうですが、翌日未明に、とうとう帰らぬ人となられました。

八重美さんの死亡要因の詳細については、現在調査中だそうですが、僕は福島第一原発事故が、八重美さんに大きなストレスを与えたためだと思っています。いやそれは私たちの誰にも大変なストレスを与えています。

本当に酷い事故があり、そののちに本当に酷い対応が続けられている。憤慨しても憤慨しきれず、嘆いても嘆ききれず、なおかつ、人々の命、子どもたちの生命を心配しても心配しきることのないような事態が、もう2年近くも継続しています。

放射能の危険性を熟知する矢ヶ崎さん自身、事故直後は、子どもたちを思うと眠るに眠ることができないとおっしゃっていましたが、誰よりも深い愛情を持っていた八重美さんも、本当に深く心を傷められ、そうして奮闘されたのだと思います。

しかも八重美さんは、そのようなときに己を顧みない方でした。自分の疲れなど忘れて、沖縄に避難してきた人々を支え、仲間を支え、同志である矢ヶ崎さんを支え、その悩み、苦しみ、葛藤をシェアして奮闘されました。その一刻一刻がものすごいストレスとのたたかいであったはずです。

しかしもともと八重美さんは、明るく前向きな力を持った方であり、なおかつ誰もが驚くようなバイタリティーを持たれていて、誰も八重美さんが倒れるなどとは考えもしなかった。おそらくご本人もそうであったのではと思えます。そうして八重美さんは、人々のために走って、走って、走って、倒れられてしまいました。
あの事故で傷ついたたくさんの人々の心を支え、癒し、なおかつ人々にたたかいの方向を指し示し、たたかって、たたかって、たたかって、そうして倒れられてしまったのです。

八重美さんの発言の最後の結びがそれを象徴しています。八重美さんは、「今は困難な時代だけども、みんなで力をあわせて一緒に頑張りましょう。私も一生懸命に頑張ります」と、そう言われて発言を終えられたそうです。
「一緒に頑張りましょう」という言葉が、八重美さんがこの世で最後に発した言葉だったのでした。心の奥底から、絞り出すように、彼女はこのメッセージを発せられた。心臓に負担が来てしまうほどに強く、深い愛を込めて。


そんな八重美さんの突然の逝去は、誰にとっても大変なショックでした。友人から電話で一報を聞いたとき、僕は思わず「えっ」と絶句してしまいまいたが、僕がすぐに知らせた方も「えっ」と絶句しておられました。
本当にまさかのことで、誰もが考えていなかったことでしたが、悲しい知らせはすぐに沖縄を駆け巡り、本土に届けられ、多くの方々が八重美さんを見送るために、那覇に、沖縄へと向いはじめました。
こうして告別式には600人以上が参加。その3分の1は本土からではなかったかとも言われています。急きょフライトを手配するのは僕も大変でしたが、それを押して多くの方が駆けつけられました。

告別式は無宗教の形式のもと、ご家族を含む10人が次々と八重美さんに言葉を送る形で進められました。八重美さんの生前の姿が彷彿とするような発言が続きました。そのバックに電子ピアノで労働歌が演奏されて流されていました。

労働歌は激しいリズムを持ったものもありますが、とても柔らかくアレンジされ、「聴く人には分かる」とてもシックな曲調に変えられていました。「葬儀のときは労働歌で送られたい」というのが八重美さんの願いだったそうで、それを上手に果たしてくださった演奏でした。

発言の最後に、ご家族が立ちました。娘さんのうち、妹の松田佳苗さん、姉の矢ヶ崎響さんの順番で発言し、最後に矢ヶ崎克馬さんが話されました。
不確かな記録になりますが、だいたい以下のような発言がなされました。


***

佳苗さん
お母さんはいつも「母親らしくなくてごめんね」と言っていました。いつも人のために走り回っていて、幼い時はさみしい思いをしたこともありました。
でもお母さんは、自分の人生をしっかりと私に見せてくれました。自分の考えをしっかりともち、愛にあふれて生きる姿はとてもかっこよかったです。
自分の人生を歩んでいく上で、お母さんの生き方を見せてくれたことを感謝しています。お母さんの人生に交わることができて幸せです。お母さん、生んでくれてありがとう。


響さん
お母さんは太陽のようでした。空を飛ぶ鳥のようでした。いろいろなところを駆け回って、その話をしてくれました。聞いている私たちはその話を聞いて胸が温かくなりました。
そしてお母さんはときに台風のようでした。お母さんの怒りは、声を上げられない人たちの正当な怒りでした。
お母さんはまたいつも正直に生きていました。けして自分を曲げませんでした。娘の私はもう少し妥協した方が楽なのにと思うこともありました。でもその生き方が正しかったことを、今日、たくさんの方が来てくださって証明してくださっています。
おかあさん。これまで本当にありがとう。本当にお母さんが大好きでした。


矢ヶ崎克馬さん
八重美と私は、沖縄が返還される前の年に結婚しました。私はまだ院生で、八重美は、広島民報の記者でしたが、沖縄の人々の闘いに感動し、私たちも沖縄に貢献したいと思いました。

その後、私が琉球大学に職を得て、沖縄に一緒に行きました。八重美は赤旗の記者になり、カメラマンになりました。生まれた娘たちを背中におぶって、写真を撮り続けました。八重美がすごかったのは、離島も含めて、沖縄の道をくまなく知っていることでした。どこかで疲れてしまった仲間があると聞くと、どこへでもかけつけて励ましていました。そんな活動を私に「私は縁の下の使いばしりだよ。とても大切な仕事だよ」と語っていました。その名の通りの活動をずっとしていました。

私たち夫婦が熊本を訪れたのは、同じように働いてきた友人の古希の祝いに参加するためでした。
私たちはその会合の初めに発言をすることになりました。私が前座をつとめ、八重美がとても力のある発言をしました。最後に「困難な時代ですが、一人ひとりが大切にされる社会を作るために、みなさん、力を合わせて頑張りましょう。私も一生懸命に頑張ります」と締めくくりました。みなさんが大きな拍手をしてくれて、八重美も誇らしげにテーブルに戻ってきました。それからほんとうに1分ぐらいあとに、ドタっと倒れて、もう意識はありませんでした。病院で一生懸命の手当を受けましたが、とうとう帰らぬ人になってしまいました。

私は八重美らしい倒れ方だったかなとも思っています。
最後にみんなで頑張ろうと力強く言って、彼女はそのまま去ってしまいました。
彼女に、「その言葉をみんなで守るよ、安心していいよ」と言って、沖縄に連れて帰ってきました。
八重美が遺した「誰もが尊重される社会を作ろう」という言葉を、私たちも一生懸命に受け継いでいきます。

みなさん、今日は本当にありがとうございました。

***

以上を持って、告別式は締めくくられました。その後、たくさんの方たちが残られて話をされていましたが、八重美さんが生前に関わり、告別式の裏方を担ってくれた若者たちが何人も残って、会葬者の住所のデータ入力をしてくれていました。
何時間もかけてその作業を終えた後、若者たちは八重美さんの柩を覗き込んでポロポロと涙を流し、嗚咽を漏らして、別れを惜しんでいました。生前の八重美さんがどれほどたくさんの人びと、若者たちに愛を送ったのかを象徴している一コマでした。


以上、八重美さんをみなさんと見送った一幕の報告を終えます。
最後に、僕も八重美さんに言葉を送りたいと思います。


八重美さん。
お疲れさまでした。本当によく駆けてくださいました。何時もとてもお元気でしたね。元気を出会うすべての人に振る舞って下さっていたのですね。
今、倒れられるのはさぞかし無念でしょう。でもバトンはしっかりと私たちが受けとりました。どうか、心安らかにお眠り下さい。どうか、後を心配されずに、お旅立ち下さい。
矢ヶ崎さんとご家族をみんなでもり立てます。約束します。避難されてきた方たちもみんなでケアします。だから、だから、休まれて下さいね。
僕も一生懸命に走ります。いつかまた八重美さんにお会いするまで、努力を続けます。だから今はさようなら。数々のことを、本当にありがとうございました!

沖本八重美さんの熱き思い、深き愛よ、永遠に。私たちの胸の中で永久に。

合掌

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「メディアが報道しない福島の真実」 福島大准教授が講演

2013.07.09 11:48|被曝・賠償・医療問題
■「メディアが報道しない福島の真実」 福島大准教授が講演
(2013年7月8日) 【北陸中日新聞】【朝刊】【石川】


福島県民らは被ばくし続けていると指摘する荒木田准教授
=金沢市近江町交流プラザで



被ばくや避難 現状深刻

 金沢市生まれで福島大行政政策学類の荒木田岳(たける)准教授(地方行政論)が7日、金沢市青草町の近江町交流プラザで「メディアが報道しない福島の真実」と題して講演した。県保険医協会が原発事故や被災した人たちの深刻な状況を伝えようと招き、90人が聴いた。

 荒木田さんは、低線量被ばくの影響は明確でないということから当然に得られる知見として「無用な被ばくは避けるに越したことはない」と指摘。それなのに福島県や近隣都県の住民は現地に留め置かれ、被ばくし続けていると憤った。

 測定方法の問題にも言及。放射能を含むちりは地表近くほど多いのに県が2階建て施設の屋上で測っており、県内の放射線監視装置(モニタリングポスト)も、その周りだけ除染され実際の線量より低いデータがまかり通っていると話した。

 働き口の見つからない若者が除染作業に当たったり、子ども向け防護服が広告されたりしている現状も報告。県の調査に中学生以下の子どもを持つ人の半数は「避難したい」と回答したことを挙げ「故郷を愛しているから出ないのでなく、避難したいが経済事情などでできない人が多い。そういう人を受け入れる方法を考えてほしい」と訴えた。 (日下部弘太)


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脱原発より「脱被ばく」 福島大・荒木田准教授が訴え

2013.07.09 11:40|被曝・賠償・医療問題
■脱原発より「脱被ばく」 福島大・荒木田准教授が訴え
(2013年7月7日) 【中日新聞】【朝刊】【愛知】

脱原発よりもまずは被ばくしない「脱被ばく」を訴える福島大准教授荒木田岳(たける)さんの講演会が6日、名古屋市中区の名古屋学院大さかえサテライト講義室で開かれた。荒木田さんは、復興支援の掛け声の下で被ばくが半ば強いられているとして、現在の状況に疑問を投げ掛けた。

 脱原発社会を目指す市民団体「未来につなげる・東海ネット」が主催した。

 講演で荒木田さんは、福島第1原発事故直後に炉心が溶融した可能性を把握していた国や福島県が公表せず、避けられた被ばくが起きたと指摘。2012年5月時点での福島市の調査では、中学生以下の子どもを持つ福島市民の過半数が、今も避難したいと思っている状況を報告した。

 福島県産品を食べて支援することで、放射性物質が飛散している農地で農家が被ばく労働を続けることになる実態にも言及。

 健康被害を心配して県外避難や県産品を食べない人が「県民を冒瀆(ぼうとく)している」と非難される議論のいびつさにも懸念を示した。

 原発事故から約2年4カ月がたち、国や福島県は帰還政策を進めている。荒木田さんは「自主避難との表現が、不必要に避難している神経質な人たちとのイメージを形づくっている」とも指摘。帰還の促進が事故の過小評価に結び付き、原発の再稼働につながることを危ぶんだ。 (竹田佳彦)


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中日新聞の記事に対し意見を出しました

2013.07.09 08:41|支援者の想い
☆プロパガンダでない記事を掲載してくれた中日新聞に感謝のメールを送りました


中日新聞さま

つなごう医療 中日メディカルサイトの記事がとてもよかったので
お伝えしたいと思いメールしました。


■メディアが報道しない福島の真実 福島大准教授が講演
(2013年7月8日) 【北陸中日新聞】【朝刊】【石川】
http://iryou.chunichi.co.jp/article/detail/20130708155404448#


■脱原発より「脱被ばく」 福島大・荒木田准教授が訴え
県産品消費、帰還促進に警鐘

(2013年7月7日) 【中日新聞】【朝刊】【愛知】

http://iryou.chunichi.co.jp/article/detail/20130708144435735


私は311の時に東京都民で、汚染が来るとの情報が得られず、自分も子供
も事故直後の大量の放射性物質を含んだプルームが関東に来た時に被曝して
しまいました。

原発事故後の報道や政府の対応の異常さに危機感を覚え、原発関連報道に
筋が通っていた「東京新聞」を購読するようになりました。東京にいる時は
重要だと思った記事をスクラップしていました。

1年後、子どもを土壌汚染の少ない土地で生活させたいとの思いから沖縄県に
母子移住しました。

自分たちはとりあえず退避したものの、福島や他の汚染地から聞こえてくる
ニュースは「被曝したくない」という住民の意向は無視、「被曝させない」
という行政や企業の意志は感じられないものばかりで、本当にこの国は終わりだ、
との思いを強くしていました。

今回中日新聞さんがこのような記事を掲載されたことは、福島や他の被災地に
留まるしかない方々にとって重要であり、人権をないがしろにされ被曝を強要
される汚染地帯の子どもたちを救出する助けになると信じます。

私は沖縄で「なりわいを返せ、地域を返せ!」福島原発訴訟の沖縄原告団の
支援活動をしています。
http://nariwaiokinawa.blog.fc2.com/blog-entry-32.html

この至上最悪の原発事故の当事者として、未来の世代に対し少しでも責任を
取らねばならないと普通のお母さんたちが家事の合間に頑張っています。

メディアの果たす役割はとても大きいです。

どうかこれからも、加害者に加担した記事よりも事実を淡々と報じてくださる
ようお願い申し上げます。



☆返信がきました

___様

インターネットで中日新聞をお読みいただきありがとうございます。
「つなごう医療」や原発報道に関するご意見、評価のお言葉をいただきありがとうございます。
今後の紙面作りの参考にさせていただきます。
今後もご期待に沿える紙面作りに努めてまいります。
よろしくお願いいたします。

中日新聞社 編集局読者センター 重村
 〒460-8511 名古屋市中区三の丸1-6-1
    電話052(221)1484
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なぜ訴訟に加わったのか?(3.11あの日から沖縄移住まで)

2013.07.08 00:32|原告の想い
なぜ訴訟団に加わったのか?

元記事【なりわい訴訟沖縄:みなほ】http://blog.livedoor.jp/minaho120/archives/30166874.html

1)3・11(あの日)
 
 茨城で運転中に震災にあいました。

 一度帰宅したのですが消防車が止まっており、「何かあっても助けにいけないので、物を取りに行くのにも覚悟をして下さい」といわれました。赤ちゃんがいたので、オムツなどを取るために余震に振られながら13階まで階段を登りました。すごく怖かった。

 うちに入ったらぐちゃぐちゃで愕然としました。家に帰れば何とかなると思ったのに、そうではありませんでした。最初は気持ちが動転して、なんだか分からないものばかり持ち出していました。何往復かしましたが、たいして物も持ち出すことはできませんでした。怖くて、疲れて、「私には、火事場のバカ力はでないんだ」と思ってしまいました。

 外には、うちより小さな赤ちゃんを抱いたお母さんたちもいっぱいいました。私は近所の子どもとかを車に乗せました。すごく寒かった。外で凍える人がいる中で、自分たちだけが車の中で暖をとったのが苦しかった。その日は、近所の大きな駐車場の車内で過ごしました。食べるものも飲むものもなく、ガソリンもなくなり、赤ちゃんを抱えて途方にくれていました。周囲は液状化してへんな臭いが漂い、サイレンが鳴り響き、余震が続く中、暗闇の中でただおびえていました。

 当時は、原発についての情報を何も入手できませんでした。

 いろんなところを転々として、栃木についた14日。福島第一原発3号機の爆発の報道を耳にしました。この時、12日にも爆発があったことを知ったのです。寒い日が続くなか、一瞬の日差しの中で子どもたちを外で遊ばせていた。知っていたら、そんなことしなかった。避難していたのにと悔やむことしかできません。



2)学校

 チェルノブイリ事故のとき、乳製品が危険だという話を聞いたような気がした。子どもを守らなければと思った私は、学校に手紙を書き、「牛乳を飲ませないで下さい」とお願いした。しかし、子どもが帰宅したときに確認すると「飲んだ」という。学校に問い合わせると「本人が飲みたがったので飲ませた」との返事。悩んだあげく「アレルギーなので飲ませないで下さい」とお願いするまでに一週間もかかってしまいました。早くしないといけないのに、ちゃんとできなかったので一週間も、子どもに給食の牛乳を飲ませてしまったのです。

 子どもが給食で飲んだ牛乳パックをもって帰宅したことがあった。そこに記されている電話番号に電話をしてセシウムとヨウ素は出ていますか?と質問した。セシウムの値は忘れたが、ヨウ素が3~4出てると言われた。三つの農場から集められた牛乳だという。ベクレルなのか、シーベルトなのか。何が何だか分からなかったけど、3~4という数字だけが頭をめぐった。その時は、それが何を意味するのか理解はできなかった。分からなかったが、それでも数字が出ているなら、飲ませないほうがいい。そう思った。外に出したくない。安全かどうか分からないものを食べさせたくない。そんな思いから子どもを学校に出すことに不安を感じていた。

 子どもは、半分学校に行き、半分休ませていたが、結局、給食も食べさせてしまった。家では、九州のものを取り寄せていたし水も気をつけていた。しかし、給食を食べさせてしまった。弁当にして欲しいと要請したけど、学校からは拒否された。今なら、絶対にそんなことはしない。ちゃんと本当のことを言ってくれていたら、情報をくれていたら・・・

 ある日、子どもが転んで帰って来た。学校で休み時間に遊んでいる時に木にぶつかったのだという。顔の形が変わるほど、アゴが擦りむけ、歯がグラグラになって血だらけで帰ってきた。傷口を洗ってもらうこともなく、もちろん、消毒されることもなく帰って来た。ちゃんと見てもらえないんだ。雨が降っていても、何の注意もなく、子どもたちは外で遊んでいた。被曝について何の知識もなく、関心もなく、被曝するままにしている教師たち。

 市や県に連絡して通学路の線量測定を要請したが、「三か所のモニタリングポストがあります。上に伝えます」というだけで何の音沙汰もなかった。市立小学校では、何の対策もとらないばかりか、保護者が対策をとることを禁じていた。しかし、茨城大学教育学部附属幼・小・中学校(以下、「附属」と称す)はガイガーカウンターを使用して測定していた。この危機や情報が他の学校、地域と共有されていれば、状況はもっと改善されていたとおもうけど、機器はもちろん、情報の提供すらなかった。

 附属では、砂で遊ぶときは表土を5センチ剥いでから遊ぶというルールがすでにつくられ、実施されていたし、水筒の利用も自由だった。でも、市立では震災前と後には何の変化もなく、変えることを拒絶しているようだった。

 移住前に、文献や専門家の意見を調べてプリントを作成して教師に手渡して説明をした。すると教師は、「やはり危険ですか。しかし、学校組織の中で一個人である自分には何もできない」と言うだけだった。
屋外プールの使用についても意見を提出し、親同士の雑談では不安を感じていた人もいたが、学校が行ったアンケートでは、屋外プールの利用について反対の声は一つも出なかった。すでに「心配」や「反対」の声を出せない雰囲気がまん延していた。



3)沖縄に移住

 ガイガーカウンターがやっと届いた。測定すると、家の中が0.19μシーベルト前後。拭き掃除をすると0・11μシーベルトに下がるけど、すぐにもとにもどる。小学校の校庭の溝は、0.25μシーベルト。下の子(1歳)が鼻の穴の周りに血の固まりが付着するようになった。

 上の子(7歳)の腹部に湿疹がでたり、首筋がただれて細かい湿疹が出始めた。避難先から水戸に戻る前から不安はあったが、戻るとすぐに子どもたちの身体に異変が出始めた。子どもたちに取り返しのつかない障害が出た時、「お母さん、なんであの時、逃げてくれなかったの?」と問われると思った。逃げられる場所があるなら、少しでも線量の低い場所があるなら、そこに行こうと思った。

 まだ余震も続いていた。避難先で再び地震がおきて、そこの原発が事故を起こした場合を考えると、一番遠い場所に逃げようと沖縄への移住を決意した。

 誰一人知り合いもなく、一度も来たことのない沖縄。行政からも民間からも一切の補助もなかった(有ったのかも知れないが自分にはそんな情報は届かなかった)。夫は、移住に反対だったので、自分と子ども二人。そして母親の4人だけで移住を決意した。まだ心は揺れていた。本当に帰れないのか。帰らないのか。そこまでの決断はできていなかった。だから、一か月早い夏休みと自分にいいわけをしながらの旅だった。
 
住むあてもなくマンスリーマンションを転々とし、沖縄にきて四回目の引っ越しで現在の住居に落ち着いた。3件目に居住したところで、地域の環境運動と出会った。それではじめて、このような運動があることを知った。

 実は、今までそういうことにあまり関心をもったことがなかったし、もちろん、関わったこともなかった。汚染土が沖縄に流通するという報道で、反対運動が置き、気がついたら巻き込まれていた。そんな感じで、関わるようになってきた。



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なぜ訴訟に加わったのか?(6:決意表明)

2013.07.08 00:11|原告の想い
原告団に入るにあたっての決意表明

元記事【なりわい訴訟沖縄:みなほ】http://blog.livedoor.jp/minaho120/archives/30166874.html

原発事故が原因で茨城から沖縄に避難しています久保田美奈穂と申します。

家族がバラバラになり、子供達の血液検査から問題が見つかり、茨城に残る主人の尿検査からはセシウム134、137が検出され、これから何か起こるかもしれない恐怖や、いつになったら家族みんなで暮らせるのかという先の見えない不安のなか、精神的にも経済的にもギリギリで生活しています。


国と東電のせいでこんな思いをしているのに、国と東電の対応はひどいもので、責任も取りません。

この裁判はお金目的ではなく、加害者を明確にして被害者の要求を制度化さるもので、また個別救済ではなく、全体救済を目的としていて、私には希望のように思えました。これからの子供達の人生は厳しくて苦しくて大変な事が起こるかもしれない。いま私が出来ることをやっていかなくてはと思いました。この裁判に参加して、未来ある子供達の為に道を切り開いていきたいと。

原告になるのに自分の中で葛藤がありました。ですが、私は自分の子供がこの事故のせいで将来かかえる苦労や不安を考えたら、なんでもないことに気がつきました。そして、改めて強く こんな世の中じゃいけない、国と東電に対して責任をとらすべき、ここは絶対に譲れない闘いだと思います。

相手はお金という武器や罠を仕掛けてくるかも知れません。被害の大きい小さいはあるかも知れませんが、私達に共通している事は、いま一人一人その人にとっては最大の苦しみのなかにいる同じ被害者だという事です。そして、この苦しみは全て国と東電によるものです。

この苦しみの連鎖は私達で断ち切り、原告になれなかった人の分も心を一つにして負けないで、支え合い協力し合っていきたいと思います。

過去は変えられませんが未来は変えられるはずです。

どんな時にも希望を胸に、私達みんなでこの裁判で奇跡を起こしていきましょう。

久保田 美奈穂


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北部説明会開催のお知らせ

2013.07.07 02:34|原告団沖縄支部活動
弁護士による「なりわいを返せ、地域を返せ!」福島原発訴訟
についての説明会を今帰仁村(なきじんそん)にて開催します

7月14日(日)
午後1時~午後3時(説明会)
午後3時~午後5時(参加申し込み手続き・情報交換など)

今帰仁中央公民館 研修室
地図:http://www.lll-okinawa.info/faciliti/faci_details.php?faci_id=283
建物ガイド:http://reynolds.exblog.jp/12718550/(素敵な場所です!!)

       
当日、原告団参加手続きが可能ですので、原告団加入を希望する方は

◆印鑑(認め印) ◆年会費6000円

をご用意ください。

☆重要☆
いまのところ、原発事故当時に福島県/宮城県/山形県/茨城県/栃木県に
お住まいだった方のみ原告団へ加入できます


なお、北部での開催は今回が初!

いつも那覇での開催で、なかなか参加できなかった方もいらしたと思います

裁判の進捗状況だけでなく、国や東電との交渉内容など活動内容を
聞いて頂き、この裁判への理解を深めて頂きたいです

◆すでに原告になられた方

◆これから原告になろうと検討中のかた

◆支援者の方

他県からの避難の方だけでなく、沖縄在住の支援者も是非ご参加くださいませ!!

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福島県「県民健康管理調査」は国が主体の全国的な“健康支援”推進に転換を

2013.07.05 00:16|被曝・賠償・医療問題
日医総研 日医総研ワーキングペーパー
No.280

福島県「県民健康管理調査」は国が主体の全国的な“健康支援”推進に転換を
畑中卓司,吉田澄人,王子野麻代

概要
 本研究は、国の原子力規制委員会における、「東京電力福島第一原発事故による健康管理のあり方に関する検討チーム」(以後、「健康管理検討チーム」ともいう)に、福島県医師会木田副会長が選定されたことを受け、その活動を支援する中で、福島県「県民健康管理調査」の問題を中心に、健康管理検討チームの検討過程及び日医総研での別途研究成果を併せて整理・分析したものである。
 こうした研究の結果、次のような四つの「国への提言」を行うものである。

 1)国の直轄事業による全国的な健康支援を
 2)ナショナルセンターで健康支援を実現する学際的・総合政策的アプローチを
 3)先進国にふさわしい、全ての国民が共有できるデータベースの構築を
 4)国・東電は責任を持って事故収束・廃炉作業員の健康支援を

1)国の直轄事業による全国的な健康支援を
 放射性物質による被害地域は福島県に留まらず、広域にわたって散在しており、避難を余議なくされた多くの福島県民が全国各地に離散している。
 被災した住民自身の健康管理に対する支援は、「放射線被ばく被害」を総合的に捉え、全ての世代が最も身近な医療機関等で健康相談や健康診査が実施され、住民自身が常に健康状態を把握できるという視点に立つ必要がある。
 そして、福島県という行政界の枠を超え、被災した全ての住民、特に子供に対して生涯にわたる健康への支援を実施するために、国が東京電力福島第一原子力発電所事故による住民の健康診査等の健康支援策を、直轄事業として推進すべきである。

2) ナショナルセンターで健康支援を実現する学際的・総合政策的アプローチを
 国が行うべきことは被災者の健康支援で、被災者の不安の解消及び安定した生活の実現である。
 これを実現するため、住民への健康支援は、国が中心となって学際的アプローチや総合政策的アプローチによる被災者支援の総合的な拠点となる「ナショナルセンター」事業を創設・推進する必要がある。
 学際的アプローチは、福島第一原発事故による健康支援の横断的な科学的検証や対応策の確立・支援を促進することである。
 一方、総合政策的アプローチは、行政の縦割りを排し、住民の視点や住民参加にも立脚した行政面での総合支援である。国は関係者の連携や共通理解の醸成、放射線影響に係る人材育成や国民とのコミュニケーション等、放射線影響等に係る総合的な拠点すなわち「ナショナルセンター」の整備により、全国的及び国際的な連携強化を重点的に進めるべきである。

3) 先進国にふさわしい、全ての国民が共有できるデータベースの構築を
 様々な法律に基づいて実施されている健康診査や健康診断の健診データを、福島県一県のみで、なおかつ福島県民のみを対象とした「県民健康管理調査」として、何十年にもわたって長期的に、また国際的な疫学研究等へのデータ提供にも耐えうる仕様を維持し、一元管理することは困難である。現在でも、臨床検査データの「単位」や「測定方法」、「測定値の基準範囲」等の違いを前提としたデータ集積を行っておらず、評価手法も明らかにされていない。
 国は、先進国にふさわしく、被災した住民自身が自らのデータにフリーにアクセスし、電子的健診データの履歴の閲覧が出来る等、住民自身が自らの健康維持・健康管理を行う際に寄与できる、全ての国民が共有できることを前提とした健診データの集積・保存・共有化を図る手法のあり方を早急に確立すべきである。

4) 国・東電は責任を持って事故収束・廃炉作業員の健康支援を
 今後、長期にわたる事故収束・廃炉作業員の健康支援については、労働者に対する健康管理業務の徹底のみならず、低線量被ばくリスクの高い「住民」ととらえた健康支援対策が必要と考えられる。
 加えて、先般、米国等の研究チームは、チェルノブイリの原発事故発生後の清掃作業員を対象とした調査から、低線量長期被ばくに関連した白血病の危険性増加に関する研究報告を発表した。チェルノブイリの原発事故(1986年)から約26年以上経った今、新たな知見が生まれている。今回の事故による低線量被ばくについても、未知の分野として真剣に取り組む必要がある。
 事業規模や作業員の雇用期間等の違いがある中で、協力企業としての全ての事業者に国の指針を求めることは容易ではない。
 現に、2万人に及ぶ作業員の被ばく記録が放射線影響協会に未提出であったことが報道され(平成25年2月28日「朝日新聞」)、東電自身の健康管理業務のあり方が問題となっていることから、多くの作業員の長期的な健康管理については、国・東電が主体的に行なっていく必要がある。
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国連人権理事会 福島事故、健康である権利侵害

2013.07.04 11:41|国際機関などの指針
■国連人権理事会 福島事故、健康である権利侵害 
(東京新聞「こちら特報部」2013年6月21日)


日本では福島原発事故後「健康を享受する権利」が侵害されている-。国連人権理事会で五月、被災状況を調査した健康問題に関する報告があった。

放射線量の避難基準を厳格にすることなどを求めたものだが、日本政府は「事実誤認もある」などと激しく反発、勧告に従う姿勢を示していない。「人権を軽視している」との批判が高まっている。 (林啓太)

 「除染はなかなか進まない。国や県が公表する放射線量の数値は信用できるのか。不安は拭えない」

 県が十九日に福島市の福島大学付属小で開いた子どもの甲状腺検査の説明会。説明を聞いた小学五年の長女と小学一年の次女を通わせる主婦(37)がつぶやいた。

県側は「甲状腺のがんが増加するとは考えにくい」などと説明したが、この主婦は「とにかく、今、何が起こっているのか、正確な情報を知りたい」と訴えた。県は県民の健康影響調査を実施しているが、不安感は消えていない。

 五月二十七日にスイス・ジュネーブで開かれた国連人権理事会で、福島原発事故後の健康問題に関する調査の報告があった。特別報告者、アナンド・グローバー氏の報告と勧告は、日本政府にとって厳しいものだった。

 報告では、原発事故直後に緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム(SPEEDI)の情報提供が遅れたことで、甲状腺被ばくを防ぐ安定ヨウ素剤が適切に配布されなかったと強く批判した。

 その後の健康調査についても不十分だと指摘。特に子どもの健康影響については、甲状腺がん以外の病変が起こる可能性を視野に、「甲状腺の検査だけに限らず、血液や尿の検査を含めて全ての健康影響の調査に拡大すべきだ」と求めた。

 日本政府が福島の避難基準について一年間に浴びる被ばく線量を二〇ミリシーベルトとしていることに対しては、「科学的な証拠に基づき、年間一ミリシーベルト未満に抑えるべきだ」と指摘。

「健康を享受する権利」を守るという考え方からは、年間一ミリシーベルト以上の被ばくは許されないとした。汚染地域の除染については、年間一ミリシーベルト未満の基準を達成するための時期を明示した計画を早期に策定するよう勧告した。

 人権理事会は、世界各国の人権侵害の調査、改善に取り組んでおり、人権に関する各種委員会の上部に位置する。健康問題の調査は、拷問、貧困など特定の課題について人権状況を調べる「テーマ別手続き」の一環で行われた。

 特別報告者に任命されたグローバー氏はインド出身の弁護士だ。昨年十一月に来日し、約二週間にわたり現地調査などをした。「原発作業員の話も聞きたい」と要望し、今はホームレスとなった元作業員がいる公園にも足を運んだという。

 人権理事会の報告について、青山学院大の申恵〓(シンヘボン)教授(国際人権法)は「『テーマ別手続き』は、特定の国の人権状況を調べる『国別手続き』と比べて政治的な影響を受けにくい。信頼性が高く、勧告には重みがある」と指摘する。

「法的な拘束力はないが、当事国は指摘を誠実に受け止め、人権状況の改善に生かすことが求められる」。国連社会権規約委員会も勧告に従うよう求めている。

 ところが、勧告を受けた日本政府は、激しく反発。人権理事会に提出した「反論書」で、「報告は個人の独自の考え方を反映し、科学や法律の観点から事実誤認がある」と言い切っている。

 SPEEDIの情報公開が遅れたとの指摘に対しては「すでに政府のホームページに掲載され、一般に公表されている。今では速やかに情報を公開する準備がある」と説明。

子どもの尿や血液の検査については、「尿検査は日本の学校では毎年行っている。血液検査は、科学的な見地から必要な放射線量が高い地域では実施している。不必要な検査を強制することには同意できない」と拒否した。

 公衆の被ばく線量を年間一ミリシーベルト未満に抑えることには「国際的に受け入れられている国際放射線防護委員会(ICRP)の勧告と国内外の専門家の議論に基づき避難区域を設定している」と反論した。

除染を終える時期については「除染によって一ミリシーベルト未満に下げるのは長期的な目標」とだけしか回答しなかった。

 報告には、原発作業員の健康影響調査と治療が必要との指摘もあったが、「法律で六カ月ごとに必要な医療検査を行うことを雇用者に義務づけている。必要とされる治療も提供される」と説明した。

 避難基準について、内閣府原子力被災者生活支援チームの担当者は取材に「線量が高いからといって住み慣れた家を離れるよう強いれば、環境の変化が健康リスクになりえる」と話した。

 こうした日本政府の反論に欺瞞(ぎまん)はないのか。

 SPEEDIの情報提供について、申教授は「公表が遅れたために、高線量の地域にとどまった住民も多い。こうした経緯に一切触れず、時間がたってから公表した事実だけを述べて反論するのは説得力を欠く」と指摘する。

 子どもの尿と血液の検査の必要性については、国会事故調の委員を務めた元放射線医学総合研究所主任研究官の崎山比早子氏は「学校の尿検査だけでは、セシウムの検出はできない。甲状腺炎などの異常を見つけるためには、血液検査も必要だ」と批判する。

 ICRPの勧告は、復旧期の被ばく基準を一~二〇ミリシーベルトとしている。だが、グローバー氏はICRPの勧告が「リスクと経済効果をてんびんにかける」という考え方に基づいている問題性を指摘し、「個人の権利よりも集団の利益を優先する考え方をとってはならない」と断じている。

 「避難することで高まる健康リスクもある」と言うが、崎山氏は「そうした考え方を、避難を望む人にまで押しつけてはならない」と言う。「避難するかとどまるかを自由に選択できるようにし、必要があれば経済的な援助をするのが政府の役割のはず」

 原発作業員について、申教授は「作業員はかき集められ、十分な被ばく対策もないまま作業に当たらされているのが実態」と話す。

 「健康を享受する権利」は、日本も批准した人権条約「国際人権規約」で規定された権利だ。

 日本政府はなぜ、人権侵害の指摘を打ち消そうと躍起になるのか。国際人権NGO「ヒューマンライツ・ナウ」の伊藤和子事務局長は「日本の原発は安全で、対応も完璧だと国際的に評価されたいのだろう」とみる。申教授は「あまりに人権を軽視している。まず人権侵害の状況があることを認め、一刻も早く改善に向けた具体的な道筋を示さなければならない」

 グローバー氏は取材に、「誰もが十分な健康検査を受けられることが、健康を享受する権利の核心。日本政府は、適切で十分な健康ケアが、全ての関係者に行き届くようにしなければならない」と強調した。

<デスクメモ> 
国連の勧告をまったく考慮することなく、反発だけをする日本政府はどうかしている。謙虚に「検討」ぐらいしてみせたらどうなのか。政治家の慰安婦問題に関する発言といい、この国の人権感覚は、国際常識からどんどん離れていっているのではないか。まともそうに見える国だから始末が悪い。(国)
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原発事故 賠償訴訟へ参加呼びかけ 那須塩原で説明会

2013.07.01 07:43|ほかの訴訟
■原発事故 賠償訴訟へ参加呼びかけ 那須塩原で説明会
(東京新聞 2013/6/30)


東京電力福島第一原発事故による放射能汚染を受け、国や東電に損害賠償を求める訴訟についての説明会が二十九日、那須塩原市で開かれた。主催した「福島原発被害首都圏弁護団」共同代表の中川素充弁護士は「国の賠償指針から、この地域(栃木県北部)は外れているが、救済されるべきだ」と指摘し、原告への参加を呼びかけた。

 同弁護団は、福島県いわき市から東京都内へ避難する三世帯八人が起こした訴訟の弁護団。栃木県内での説明会は四月に続いて二回目で、那須塩原市や那須町など、放射線量が比較的高い地域の住民計二十人が出席した。

 中川さんによると、低線量被ばく地域で暮らす精神的苦痛への慰謝料のほか、個人負担した除染費用や線量計などの機器購入費、事業者の営業損害などを請求できる。国の原子力損害賠償紛争解決センターが東電との和解を仲介しているが、中川さんは「結局、東電が納得した金額でないと解決できない仕組みで、被害者の原状回復を図れるようなものではない。裁判に訴える時期に来ている」と呼び掛けた。

 中川さんは、国や東電の責任があいまいなままになっていると強調。「国や東電の責任を裁判で明確にすることで、除染や健康調査などの国の対策も進む。このまま何もしなければ、あいまいな対応しかなされない」と裁判の意義を訴えた。
(石井紀代美)
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Author:BQN
東日本大震災の時に首都圏在住在勤。キヨシローの反原発ソングしか知らなかった自分を反省し、当時小3になったばかりの子供を放射能からどう守ったらよいか真剣に学ぶ。1年後、沖縄に移住。2012年12月、沖縄にいる原発避難者のための東電による説明会が行われたが、その開催に尽力したのが避難者支援の市民団体『つなごう命〜沖縄と被災地をむすぶ会〜』だった。共同代表の沖本八重美さん(2013.1.26永眠)は広島原爆の胎内被爆者ゆえ、新たな被ばくの犠牲者に対し深い共感をもって支援した。深刻かつ長期にわたる被害に対し “法廷で東電と国の責任を問う” ことが八重美さんの悲願だった。私も同じ気持ちでこの訴訟の支援を続けて行きたいと思っている。

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