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集団訴訟の福島地裁が線量高い区域など検証

2016.03.17 23:35|なりわい訴訟について
■集団訴訟の福島地裁が線量高い区域など検証
(毎日新聞 2016年3月17日)


 東京電力福島第1原発事故当時、福島県や隣県に住んでいた約3900人が東電と国に原状回復や慰謝料を求めている集団訴訟で、福島地裁(金沢秀樹裁判長)は17日、放射線量の高い帰還困難区域にある原告の自宅などを現場検証した。原告弁護団によると、原発事故を巡る訴訟で現場検証を実施したのは初めて。

 裁判官3人と原告、被告双方の弁護士ら計約50人が防護服やマスクを着用し、全町避難が続く福島県双葉、浪江、富岡の3町を訪問。裁判長らは動物に荒らされて家具が散乱し、異臭漂う原告の自宅内を見て回った。双葉町では無人で静まりかえったJR双葉駅前も歩き、商店や住宅の壁が崩れた現状なども確認した。

 双葉町から同県いわき市に避難している原告の福田祐司さん(67)は検証後、「家や土地を放置したまま古里を追い出された苦痛が今も続いていることを裁判官に分かってもらえた」と話した。浪江町の原告で畜産家の佐藤貞利さん(68)は、飼育していた牛約150頭の大半が避難中に餓死したことを裁判官に牛舎で説明。「牛の無念を晴らすためにも心のこもった判決をお願いしたい」と述べた。

 訴訟で原告側は、避難指示区域の避難者のうち40人について、古里を失った慰謝料として1人当たり2000万円を請求。放射線量を事故前の状況に戻し、それまでの間は原告全員に1人月5万円の慰謝料を支払うよう求めている。
【土江洋範】



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福島原発事故、証拠全面開示へ 検察官役、保管の4千点

2016.03.15 22:22|ほかの訴訟
■福島原発事故、証拠全面開示へ 検察官役、保管の4千点
(2016/3/14 共同通信) 


 福島第1原発事故の対策を怠ったとして、東京電力の勝俣恒久元会長(75)ら旧経営陣3人を業務上過失致死傷罪で強制起訴した検察官役の指定弁護士は14日、原則として全ての証拠を3人の弁護側に開示すると明らかにした。

 指定弁護士によると、保管している証拠は約4千点で、14日に一覧表を弁護側に渡した。その上で、公判を早急に開くよう東京地裁(大野勝則裁判長)に要請した。

 一覧表の交付は国会で継続審議となっている刑事訴訟法改正案に盛り込まれている。検察官が捜査に支障があると判断した場合などは例外とする規定もあり、日弁連は全証拠の開示を求めている。




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団長と事務局長ら ドイツの反核国際会議へ

2016.03.14 19:55|なりわい訴訟について
Facebook『生業訴訟』原告団事務局長の奮闘(悪戦苦闘?)記より転載:

3月8日

12時間のフライトを終え、7日午後、無事ドイツ・フランクフルトに到着しました。

ホテルにチェックイン後、すぐに郊外のランゲンという小さな町で、反原発グループの皆さんとの交流会に参加しました。このグループは大震災後、毎月第1月曜日の夜に反原発を訴えるデモや集会を続けているということでした。
集会の中では約1時間にわたって我々が福島の現状と「生業訴訟」についてお話しし、その後質疑応答を行いました。
30人にものぼる参加者の皆さんは、皆真剣な面持ちで私たちの話に聞き入り、時にはうなずき、時には驚嘆の声をあげ、あるいは落胆のため息を漏らしていました。

また質疑応答では熱心な質問が相次ぎました。「裁判の費用はどうやって賄っているのか?」「原発事故直後の選挙で、推進派の安倍首相が選ばれたのは何故か?」「被曝のリスクがあるにもかかわらず、あなたたちが福島にとどまって裁判を闘っているのは何故か?」など、素朴で鋭い質問が次々と投げかけられました。

会の代表の方が最後に、「あなたたちの戦いは私たちの戦いです。」と言ってくださいました。何万キロも離れた地球の彼方で、福島の被害者を思い続けてくれる人がいる。
まさに、離れていても想いは一つ。同じ志を持つもの同士、言葉を超えた連帯感を感じた貴重な体験となりました。

3月9日

ドイツでの2日目。
早朝にフランクフルトを発ち、アウトバーンを約2時間走って、カッセルという町に行きました。ここでは午前と午後に一つずつ学校を訪問し、生徒さんたちに福島の現状をお伝えする機会をいただきました。

1校目は職業訓練校。高校生から20代前半の生徒さんたちが、技術を身に付けるために通う学校です。

2校目は郊外のハイスクール。とは言っても小学校から高校生までが一緒の校舎に通う、公立の一貫校でした。ここではお昼時に有機野菜だけを使うこだわりの学食で、素晴らしいランチをご馳走になりました。
学生さんが相手ということで、昨日よりもわかりやすい内容で、裁判よりも被害者の立場を強調してお話ししました。どちらの生徒さんも熱心に耳を傾けてくれましたが、質問の時間になると、若者ならではの純粋な視点から、しかし問題の本質を突く発言が相次ぎました。

少し長くなりますが、以下に列挙してみます。

・皆さんの周りでは具体的な健康影響は確認されているか?

・被害を受けた人が何十万人もいるというのに、原告4,000人は少なくないか?

・日本人は国家権力を恐れる傾向があると聞くが、あなた達の裁判は巨人に戦いを挑むようなものではないのか?

・避難指示解除が始まると聞いているが、どの範囲までの解除なのか?

・チェルノブイリの時には60kmを立ち入り禁止にしたのに、日本では何故それができないのか?

・避難指示区域の人に対する経済的援助はどの程度のものか?

・事故後も原発の建設、再稼働を推し進める理由は何か?

・あんなに地震の多い国で、再生可能エネルギーへの転換は考えられていないのか?日本政府のスタンスは?

・一般市民、国民の意識は、事故後変わったか?

・使用済み核燃料の問題は脱原発を表明したドイツでも未解決のまま。日本ではどう考えられているのか?

・壊れた原発の修理や賠償金の資金は、どこから出ているのか?

・原発ゼロを進めるために、日本で個人ができることは何か?

などなど…。
質問されているこちらが「ハッ」とさせられるものがとても多く、改めて私たちが慣れで忘れてしまいそうになっているものに気づかされました。これこそが世界の市民感覚であり、いかに日本の市民感覚がマヒしているかを思い知らされ、逆に私たちこそ勉強になりました。

最後に、ドイツの若い世代に私が託した一言。
「原発事故は全ての人を不幸に陥れる。私たちが人類最後の原発事故被害者で済むように、皆さんの世代が原発のない世界を実現できるよう、行動を起こしてほしい。」



3月10日

3月9日午後、国際会議の本番が始まりました。
そもそもこの会議は、プロテスタント教会が運動の一環として行っているもので、今年が3回目です。なぜ教会が反核運動に取り組むかと言えば、「神の創造物である地球と人間を守るため」。なるほど、と仏教徒の私でも納得できる、シンプルで崇高な精神がそこにあったのでした。

初日はフランクフルト市内にある教会内の施設で、簡単な挨拶のあと「避けられないグローバルな脱核」というテーマのミニシンポジウムが行われました。国際反核法律家協会(IARANA)のドイツ部会長、ポーランドの大司教、アメリカ人ジャーナリスト、フランスの大学教授と、実に様々な国と立場の方々が意見を述べ合い、興味深い発言が相次ぎました。
アメリカ人ジャーナリストは「世界的な核燃料の密輸(=世界への拡散)を米英は知っていたのに見逃していた」などといったショッキングな情報を披露したほか、「アメリカでも核に関してジャーナリズムは十分な仕事をしていない。市民ジャーナリズムが重要性を増している。世界中が声をあげることが重要だ。」と、アメリカでも事故の責任を曖昧にし、それをもみ消そうとする風潮は同じであると訴えました。

フランスで法律を専門とする大学教授は弁護士でもあり、年代を超えて未来の世代に対する責任を認める法律の必要性を説きました。これなどは、まさに私たちが裁判を戦う上でも常に意識していること(=未来を担う子供達に被害や汚染を引き継がせたくない)の延長線上にある考え方であり、強く共感できるものです。
発表後は会場から活発な意見や質問が相次ぎ、辺りが薄暗くなるまで充実した討議となりました。
終了後は車で30分ほど走ったセミナーハウスに場所を移し、夕食を挟んで映画「日本と原発」の上映が行われるなど目一杯。本当に盛りだくさんの一日でした。

う〜ん、さすがに疲れて昨夜はバタンキュー。二日目以降、この心身ともにハードな環境で生き残れるか、なんとも心配です…。


3月11日①

ドイツでの国際会議、2日目の模様をお伝えします。
この日は中島団長やおしどりマコさんなどが、日本からの裁判の取り組みを伝える佳境とも言える一日でした。午前午後とも2部構成で、計12名+2名の方が意見を発表されました。

テーマは午前が「政治手段としての核兵器を廃止するには」、午後が「東電の福島原発事故」といったもので、教会関係者のほか、弁護士、大学教授、各国裁判の原告、NPOなどの団体関係者と、立場も国籍も異なる発言者の方々が並びました。

中島団長のスピーチは大きな賞賛を浴び、終了後もたくさんの質問が寄せられました。「感動的なスピーチをありがとうございました」と言って握手を求めに来た方もいたほどです。いよいよ「世界の中島」の呼び名も現実味を帯びてきましたね…。
おしどりマコさんなどは午後のスピーチの他に夜も演題に立ち、病気でドイツに来られなかったSEALSの奥田さんに代わっての報告まで行いました。う〜ん、さすが!

この日印象的だったことは、未だ未解決の福島原発事故について、国際的な働きかけが重要、あるいは有効ではないかという意見がいくつかかあったことです。

現に前日に講演をしたフランスの大学教授が我々のところに来て、「安倍政権を訴えるつもりはないか、世界の様々なノウハウを提供できる。」といったありがたい?オファーまで頂戴しました。(さすがに今は自分の裁判で手一杯なのでと、丁重にお断りしました。)

しかしそこまでいかなくとも、国際的な団体と連携をとりながら、様々な外圧を政府や東電に加えることはできるはずです。IALANA(国際反核法律家協会)も支援を約束してくれました。今後の大きな検討テーマになることは間違いありません。

朝から夜までの缶詰でかなりハードな一日でしたが、会議1時間半→30分コーヒー休憩→会議というサイクルができているので、そんなに負担ではありませんでした。
疲れ以上に充実感一杯の2日目でした。


3月11日②

ドイツでの国際会議最終日は、震災から丸五年となる「3.11」。全ての犠牲者と被災者に向けた黙祷で、会議が始まりました。

最終日は午前の部だけの構成でしたが、中身は「脱核を考える」というテーマで極めて濃いものになりました。
前半でお話しされた核戦争防止国際医師会議の先生は、チョルノビル(チェルノブイリ)事故後の現地で活動を続けている方で、その経験から「瞬間的に大きな線量を被ばくするより、低線量下で長く生活することのほうが、健康へのリスクが大きいとことが分かっている」という見解を述べられました。

後半には世界的に有名なドイツ再生エネルギーの仕掛け人で、「黒い森の電力反逆児」と呼ばれるシェーナウ電力の設立者が、再生可能エネルギー事業を立ち上げるまでの苦難の道のりを、熱くお話ししてくださいました。
興奮冷めやらぬうちに会議は無事閉会。参加者は皆別れを惜しみながら、今後の相互協力と再会を約束し合いました。
その後私たちはというと、解散後一旦フランクフルト市内に戻り、夕方再び郊外へと電車で出発。市街から少し離れたバート・ホーンブルクという美しい街で、「3.11」のために開催された集会に参加しました。グループの皆さんにはとても温かく迎えていただき、一緒に原子力からの脱却を訴えました。

そしてここでも黙祷が。ヨーロッパの人々が持つこの「祈りの心」を、私たち日本人も決して忘れてはいけません。
全ての日程をなんとかこなし、夜は期間中ずっと通訳をしてくださった方々と最後の晩餐。本当に楽しく、そして心の温まる夜を過ごすことができました。

明日はフランクフルトで過ごす最後の一日。日本への帰国が近づいています。

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BQN

Author:BQN
東日本大震災の時に首都圏在住在勤。キヨシローの反原発ソングしか知らなかった自分を反省し、当時小3になったばかりの子供を放射能からどう守ったらよいか真剣に学ぶ。1年後、沖縄に移住。2012年12月、沖縄にいる原発避難者のための東電による説明会が行われたが、その開催に尽力したのが避難者支援の市民団体『つなごう命〜沖縄と被災地をむすぶ会〜』だった。共同代表の沖本八重美さん(2013.1.26永眠)は広島原爆の胎内被爆者ゆえ、新たな被ばくの犠牲者に対し深い共感をもって支援した。深刻かつ長期にわたる被害に対し “法廷で東電と国の責任を問う” ことが八重美さんの悲願だった。私も同じ気持ちでこの訴訟の支援を続けて行きたいと思っている。

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