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原告本人尋問(11/17午前の部)傍聴メモ

2015.11.22 02:53|原告の想い
2015年11月17日、生業訴訟の原告本人尋問を傍聴してきました。
この日6名の方の尋問があり、私は前半3名の方の尋問を聞きました。

原発事故特有の具体的な被害が、本人尋問により明らかに
なっていきました。書き取った傍聴メモをここに記します。
(言葉の聞き間違いなどわかったら、順次訂正します)



【事故発生時妊娠9ヶ月だった女性】
 福島県福島市⇒宮城県仙台市⇒福島市

・強制避難区域でないため避難をめぐって夫とケンカ

・お腹の赤ちゃんへの放射能の影響が心配でたまらなかった
 正直、奇形の子どもが産まれてこなくてほっとした

・母乳に放射能が含まれているニュースを見たあと授乳するのが不安に
 おっぱいあげながら思わずやめてしまうこともあった

・妹のいる仙台に母子避難。上の子が環境が変わって情緒不安定に
 ご飯食べない 下痢をする 夜寝ない 無口に

・週末だけ夫が通う生活に家族全員が限界を感じ福島に戻る
 自宅より線量の低い物件を探して市内で転居

・子供がよく体調を崩し鼻血を出すことが多く、ここにいて大丈夫か
 また不安に

・里帰りする実家は0.8マイクロシーベルト毎時、自宅は0.5〜6だと
 いうことが「あとから」わかった

・自宅の除染が行われたのは2015年夏(事故から4年後)

・子供やその子供への健康不安

・「放射能は笑っている人にはとんでこない」と言っていた山下俊一氏が
 「子供が病気になる頃には僕はいない」とも発言しショックを受けた

・原発事故の被害については被害を少なく見せるように情報を出して
 いると感じるから公的な情報が信用できない

・1歳半になった娘の足の爪に黒い線。この線が大きく変化するよう
 だとガン化する恐れもあり要経過観察と医師に診断されている
 放射能の影響ではないかと不安になっている

・東電代理人からの質問:
 「福島市のホームページの米の放射能検査結果を見ていましたか?」

 「母乳から放射能が検出された情報をどこで見ましたか?」

 「母乳をあげると危険という情報を医師から聞いたことがありますか?」

 「爪の異常について医師はどのように診断していますか?」

 「医師に放射能に対する不安を聞いてもらったことがありますか?」

 「福島産は市場に出回っているものは安全とされていますがそれでも
  県外のものを選ぶのですか?検査体制などの情報は取っていますか?」

 「なぜ夫は原告にならなかったのですか?意見のちがいがあるのですか?」

・国の代理人からの質問:
 「洗濯ものの外干しを祖母がしていることについてどう考えていましたか?」
 →よく乾くからだろうと思っていました。

 「祖父母が自分たちが食べないものを食べることについて何か言ったり聞いたり
  したことはありますか?」
 →ありません。祖父母の作った地元の食べ物を申し訳ないと思いながら処分して
  いました


【妻がウクライナ人で子供が二重国籍の男性】
 夫:福島県白河市
 妻子:白河⇒ウクライナ⇒白河⇒アルゼンチン⇒白河

・ウクライナ人の妻は12歳のときチェルノブイリ事故を経験
 自分と結婚しなければ二度も原発事故に遭わずに済んだのに、と
 申し訳ない気持ちをもっている

・ウクライナ人の妻と子供はウクライナ政府のチャーター便で3/17に
 成田からウクライナに避難。日本国籍しかない自分は乗せてもらえず、
 成田空港で妻子と別れることになってしまった
 「パパ!パパ!」と大泣きする娘を見送った悲しみ一生忘れられない

・避難先での生活に困らないよう、貯金は全て下ろして妻に渡した

・1週間以上たち初めて妻子と連絡がついた

・ひとり福島に戻ったが妻子がいないさびしさで鬱になり何度も
 自殺を考える。地元の釣り仲間などに励まされた日々

・自宅は高いところで1マイクロシーベルト毎時。妻子に帰ってきて
 ほしくて芝を刈るなどして自分で除染

・子供がウクライナでストレスから腸閉塞になり入院

・どうしても会いたくて妻子のいるウクライナに行くが、妻が福島に
 帰りたくないという。言葉もできない自分は今からウクライナでの
 生活は考えられず話が平行線に

・家族一緒を最優先に福島に戻ったが、今度は被ばく防護がストレスに

・水道水を飲まず福島県産を避けても不安を消すことはできなかった

・放射能の不安から妻の精神が不安定になりヒステリックに

・妻子は再避難を決意し妻の姉一家のいるアルゼンチンへ
 しかし子供が現地になじめずホームシックになり福島に戻る

・海外への渡航費や生活費がかかり経済的負担も大きい

・避難で日本の学校生活も中途半端になり、子供が不登校に

・山や川などの自然の中で豊かに暮らしていたのにそこが
 汚染され危険になってしまったことは、人間で言うなら
 手足をもがれたようなもの

・家のローンがあり避難先で就職できるか不安があるため
 自宅から離れられない状況

・東電代理人からの質問:

 「奥様はチェルノブイリでどのような経験をされましたか?」
 →ウクライナの事故原発から650キロ離れた町だったが
  1週間後に黒い雨が降った。友達が死ぬのを何人も見た。
  妻の姉の夫はベラルーシ人医師で、福島から逃げろと警告。
 「原発事故が起きた20年後を知っているか?俺は知っている」
 「地元の山菜やキノコを食べ続けた人が甲状腺ガンや心筋梗塞に
  なった」など、留まることの危険性を伝えてきた
  
 「東電や自治体が出していた線量を確認していましたか?」

 「どこのメーカーの何という機種で測定しましたか?」
 
 「除染前と除染後の線量はどれくらいでしたか?」
 
・国の代理人からの質問:
 「近所や親戚の人で避難した人いましたか?何人くらいでしたか?」
 →山の仲間の子供のいる若い世帯で10人くらいいた。

 「近所で放射能を気にして除染している人はいましたか?」
 →近所には高齢者が多く、除染をしている人はいなかった。


【母子避難をずっと続けて離婚した女性】
 茨城県⇒栃木県⇒東京都⇒沖縄県

・震災で自宅が半壊。住める状態でなくなったため車で母子避難
 生活が始まった。1歳児と小学校入学を控えた子供がいた

・車のラジオで原発事故を知る。なるべく遠くへ逃げようと
 決意し当初滞在した栃木から東京西部へ移動

・夫が自宅を修繕して帰りを待っているとの連絡と、子供が楽しみ
 にしていた小学校入学式のためいったん自宅に戻ることを決める
 
・ネットやママ友との情報交換で放射能の健康影響を知る
 言い方はよくないけれど「こういう風になったらいやだな」
 という思いから被曝防護を考え行動するようになった

・測定器を入手し測り始める。自宅は拭き掃除をすると下がるため
 1日何度も拭き掃除するようになった

・放射能の影響を受けないようになるべく外出を控え、子供は外で
 遊ばせないようにした
 
・家族が帰ってきたら玄関で服を脱がせ洗濯にまわしシャワーに直行
 させた

・子供の通学路は高いところで0.25マイクロシーベルト毎時

・地元自治体に通学路と学校の放射能測定を要請したが断られる
 理由は「モニタリングポストがすでに設置されているから」

・牛乳を飲ませないように学校に頼んだが子供が飲みたいと
 言ったら学校は与えてしまった

・牛乳のメーカーに検査結果を問い合わせると「ヨウ素3〜4bq」
 セシウムについては覚えていない

・「早めの夏休み」ということで夫も認めたため、沖縄に母子避難
 当初は一時避難のつもりだった
 
・沖縄で原発事故の健康影響について詳しいチェルノブイリを知る
 専門家などの話を聞き「茨城から避難したことは正しい」と
 ベラルーシの汚染地をみてきた小児科医スモル二コワ医師にも
 言われた

 ※ブログ主註:
  2011年11月20日 沖縄でスモル二コワ医師のお話を聞く会が開催されていた
 http://ameblo.jp/halo-usaco/entry-11101320860.html

・残った人と出た人の放射性物質に対する考え方のちがいなどから
 友人とも疎遠に 
「まだ避難しているの?」「ご主人かわいそうだね。毎日コンビニ弁当?」
 といった自分がいちばん気にしている所を指摘する言葉に傷ついた

・年に数回しか夫と会えなくなり結婚生活の意味を考えるように

・自分が子供と避難したせいで夫や子供から家族みんなで暮らす
 普通の生活を奪ってしまった責任を感じている

・上の子は我慢強い性格で「パパに会いたい」と言わないが、
 たまにさびしさを爆発させる
 「どうやって我慢していたかわからなくなっちゃった」
 と言ったこともある

・下の子は「将来はパパと暮らしたい」と言い、幼稚園では父親の
 いる家族の絵を描いてくる

・夫は放射能の話になるとと不機嫌になるためそれから触れることが
 できなくなってしまった

・「危険て知っていても俺にはどうすることも出来ないでしょ?」
 「(自分が茨城での仕事をやめたら)誰が生活費を出すの?」
 「このまま別居を続けるなら結婚している意味がない...」
  と言われ返す言葉がないまま離婚に至った

・子供の5〜10年後を想像するとき、以前なら楽しいことばかり
 考えていたが、今は「死ぬような病気になっているんじゃないか」
 という不安がありとても苦しい

・ここにいるみなさんが全員原発事故の被害者
 私たち大人が無責任なままでは子供たちがかわいそうなので一緒に
 社会を変えてほしい、助けてほしい

・東電代理人からの質問:
 「自治体から出ていた避難しなくてよいという広報は見ていましたか?」
 →見ていません。個人的には安全とも危険とも連絡はありませんでした。

 「子供たちの血液検査の異常について医師から放射線の影響と言われた
  ことはありますか?」
 →あるともないとも言われていません。要経過観察とだけ。

 「牛乳には自然放射線が50ベクレル含まれていることは知っていましたか?」
 →??(無言) 
  ※原告弁護団より「何の核種か特定せずに聞くのはおかしい」との声上がる
   これに対し裁判官「自然放射線という前提で聞いており問題はないと考える」

 「福島産の食べ物や水道水を避けているとおっしゃいましたが、線量の
  高いものをうっかり食べたり飲んだりしたことはありますか?」
 →内部被ばくをさけているのでありません。

 「だんなさんから放射能についての見解を聞いたことがありますか?」
 →「放射能の話は一切やめて」と言われてから話せなくなり聞いて
   いません。

 「茨城県は避難区域に指定されいませんがなぜ帰らないのですか?」
 →原発事故によって県境を超えて放射性物質が降り注いだからです。
  それが自分や家族の身体の中に入ってしまったことがその量が
  多いか少ないかに関わらず、いやで怖いからです。 
  また、事故直後の初期被曝から子供を守ることが出来なかったので、
  もうこれ以上外からも中からも原発の放射能の影響を受けさせたく
  ないからです。


以上、傍聴メモでした。

  この日、4日前の11月13日に亡くなられたstudy2007さんの
  『見捨てられた初期被曝』という本を手に傍聴席にいました。
   

    崩れ去った被ばく防護

   科学の「放棄」「心の問題」へのすり替え

   原発事故の教訓とは基準を緩めることなのか?

   避難と防護の備えなくして再稼働はありえない



  問われているのは、「フクシマ」を経験しても変わろうとしない日本社会、
  そこに暮らす人々だということを日々痛感しています。



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BQN

Author:BQN
東日本大震災の時に首都圏在住在勤。キヨシローの反原発ソングしか知らなかった自分を反省し、当時小3になったばかりの子供を放射能からどう守ったらよいか真剣に学ぶ。1年後、沖縄に移住。2012年12月、沖縄にいる原発避難者のための東電による説明会が行われたが、その開催に尽力したのが避難者支援の市民団体『つなごう命〜沖縄と被災地をむすぶ会〜』だった。共同代表の沖本八重美さん(2013.1.26永眠)は広島原爆の胎内被爆者ゆえ、新たな被ばくの犠牲者に対し深い共感をもって支援した。深刻かつ長期にわたる被害に対し “法廷で東電と国の責任を問う” ことが八重美さんの悲願だった。私も同じ気持ちでこの訴訟の支援を続けて行きたいと思っている。

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